水窪での初盆
8/14の出来事。
あるお宅に初盆見舞いへお伺いした。
そもそも、生まれてこのかた「初盆見舞い」という単語も聞いたことがない。この浜松の秘境水窪(みさくぼ)に来て知った風習。
昨年のお盆は水窪との二拠点してまだ日も浅く右も左もわからなさ過ぎたのと、親しくさせて頂いてる方々の中にお身内を亡くした方がおられなかったから。
今年は当店の常連さんの中に初盆をお迎えされる方がおられたので、私が勝手に水窪の叔母として慕っている方に初盆見舞いのマナーや作法について尋ねた。
お金を包むらしいが、その相場や、入れる封筒の文字や、服装など。
すると封筒はその方が御用意下さり、服装は喪服ではなく黒か白か地味めのカジュアル過ぎないものとの事だったので、一番地味な夏服を都内から持参。
しかし本当に何もわからなさ過ぎて、初盆見舞い前夜にご来店下さった常連さんご一家に、初盆見舞いに訪れた際の第一声の様なものはあるのか尋ねると、
「今年は初盆でお寂(さみ)しゅうございます」
という言葉を教えて下さった。それ!!そういうのを知りたかった!!そしてたまたまそのご家族が、故人と長年ご縁のあったご家族だったので、故人のエピソードをお聞きする事もできた。
そして当日、やはり怖じけづいて、水窪の姐として慕う水窪最後の芸者で、現在はカラオケ居酒屋玉の家のさっちゃん(ご本人からSNSでお名前を出しまくってもいい許可頂いてます笑)に連絡😅
「今から初盆のお見舞いにお伺いするんだけど、もしさっちゃんがもうお見舞い済みだったり、そこまで親しい方でなかったらいいんだけど、一緒に行ってくれないかと思って💦色んな方にマナーお訊きしたけど、お仏壇の作法も宗派や地方によって違うからやっぱり不安で💦」と言うと、
「あんたどこの初盆行こうとしとんの?」
と訊き返されたのでお名前を即答すると、
「あっ!!行く!!」と。
さっちゃんもお世話になっておられる方なのは実はそもそも知ってた笑
そして待ち合わせの玉の家に着くと、黒いドレッシーな大きめのカットソーを手渡された。「誰の?」
「アタシのよ。昔はそんだけあったんよ。サイズ合うならやるで着てみ」
と言われたので、着て来たピッタリ目のカットソーの上から着てみたら、パツパツで身動き取れず💦
「下のカットソー脱いだらいけるかもだけど、今後頑張ります😂」と言ったらさっちゃん爆笑してた。
そして初盆の方のお宅を訪ねすると、土間の横に祭壇が設けられ、靴を脱がずにお線香あげられる造りになっていて、そんなのも初めて見たのでまず驚き。
さっちゃんの一挙手一投足を真似てお仏壇にお見舞い金の入った封筒をお供えし、故人様に手を合わせた。その手を合わせる前の、水の入ったお茶碗に枝付きの葉っぱをピッピッと浸けるのも今まで他の法事では見たことがなかったので、やはりさっちゃんに来てもらって助かった💦
するとその気配に気付いた喪主がお部屋から出てこられ、私達二人を見て驚いた。するとさっちゃんが、「初盆で大変でしたねぇ」と。
ん!?「お寂しゅう」じゃないパターンできた💦その後自分がどのタイミングで「お寂しゅう」を言えばいいのかもわからず💦もし言うタイミングがあったとしても、人生で一度も口にしたことのない台詞なので、言い慣れずにおそらく噛んでた😂そしてさっちゃんがしんみりした空気を出してきたので、今か!?と思い、予め都内で用意してきたお供え物のお菓子をお渡しした。父の里因島ではお金ではなくお盆にお供え物を持参する風習はあったので、なんとなくそれもしてみた。そして、
「そういえばお母様って達筆だったんですってね」と切り出してみた。実は達筆なのは昨夜のご家族だけでなく、他のご近所さんからも、故人様が文字を書く事もお仕事にされてたとお聞きしていたから。
「字を見れば、あそこのお母さんの字だってすぐわかるぐらいきれい」と。そして
「昨日○○さんからお聞きしたんですけど、あちらで長年お勤めだったんですってね。あちらのご家族とそんなに長いお付き合いがあったの初めて知りました💦」
と言うと、息子さんが「そうそう!!」と。
故人様にお会いした事はないけど、生前、喪主である息子さんからご様子をお聞きしてたのと、49日前日にたまたまその方のおうちの前を通ったので、お骨納めの前に拝ませて頂いたので、自分的にはお母様に対して、少なからず勝手な親しみがあった。
そしてお宅をあとにし、仕入れに向かったが、その道中、通りの各家々の前で火を焚いてる。お盆の迎え火なのはわかるが、その日は8/14。父の郷里因島では、迎え火は盆の入り8/13だけで、送り火は8/15か16日。火を焚くのは最初と最後の二回だけ。
なのに水窪では連日迎え火を焚く光景を目にする。
スーパーで仕入れを済ませ、2軒目のスーパーで当店のお客様に遭遇したので訊いてみた。「迎え火って毎日焚くの?」
「この辺はそうだねぇ。」
「あの燃やす木ってどこで買うの?」
「ん!?なんで!?」
「和泉屋旅館のご先祖様は、どこに帰ってくるのかなぁ、とふと思って。。。ご家族の元へ会いには帰られるんだろうけど、和泉屋にも帰りたいかなぁ…と思って。。。」
「なるほど...、やる!?」
「うん...やる。」
「オッケ!!ここでも売ってるはずだら...」
と訊いてくれたが完売。最初のスーパーにもそれらしい物は見かけなかったからおそらく完売。この町にスーパーは二軒のみ。すると店員さんが城西の野菜無人直売所にあるかも、と。
私の交通手段はママチャリで、城西まではアップダウンの激しい道で絶望的だったので、思わず「あーーー💦城西かぁ😂」と、言うと、そのお客さんが乗せて行ってくれると。
車中で、あの木は何でもいいのか尋ねると、
「松しか見た事ないら~。俺は山で採ってくるから買った事ないけど。」
「下に敷く石は何でもいいの?」
「あれはその辺の石でも何でもいいら。俺んちはブロックだに。」
そして城西に向かったが、なく💦直売所隣の店主のおうちを訪ねて訊いてくれたがなかった。そして城西の直売所廻る事3軒。3軒目の店主のお宅に直接お尋ね頂いてやっとみつけた!!そしてちょうどいい石もその場で拾って車に積んで下さり。
そして本町(いづみやのある区域。旧町名なので地図にはない)に戻ると、やはり各家々で迎え火を焚き始めてた。
重い石をおろしてくれたので、よそで見た光景を真似て松を組んでみた。
その様子を見た例のお客さんが、
「大丈夫だら?あとは赤色のほうの松に火を点けたら勢いよく燃えるから。」
と着火したのを確認して去って行った。
すると斜め向かいのおうちの女性がちょうど出て来られ、勢いよく燃え出した迎え火を見て「あらーーー!!お迎えしとるだか!?まさあきちゃん(和泉屋旅館の最後の館主)らが喜ぶに笑」と仰ってたので、思わず
「ほんとに!?」
と聞き返すと、
「うん!!みんな帰って来れて喜ぶら笑」
と、その声に気付いた更に向こうで迎え火をしてたご近所さん達がこちらを振り返り、迎え火を見て、
「あらーーー!!」
とみんな口々に言いながら笑った。
その日さっちゃんとお客様のお宅へ初盆見舞いに訪れたり、その前日に故人様のエピソードを色々お聞きしたり、連日焚かれる迎え火を見てなかったら、いづみやでも迎え火をしようという感情にはおそらくならなかった。
そして和泉屋旅館の女将さんが昨年5月に亡くなられ、初盆が昨年だったのをその時に思い出し、迎え火すらしなかった事を悔やんだ。実はお母様の49日の法要に息子さんからお声がけを頂いていたのだが、都内で珍しくご予約を頂いていた日と重なっていたため参列できず。
そして昨年のお父様の法要の際は、息子さんだけでなくお二人の娘さんも帰りにお越し下さり、面識もあったので尚更。
送り盆の16日まで毎日松を焚いた。
そして8月17日の朝、仕入れの帰り道ご近所のご年配男性に久方ぶりにお会いした。
「お久しぶりです!!お元気ですか!?」
とご挨拶すると、
「よぉ松焚いたよ(=よく迎え火の松を焚いたね)」
と言われ、一瞬何の事かとキョトンとなった。その方は私が迎え火をしてたのを一度もご覧になってないはずでは?
「ん!?なんで!?」
と訊くと、
「今和泉屋の前に石が置いてあったら」と。松を燃やした置き石を片付けるのを忘れてた💦
「よぉやった」
ともう一度言われ、誉められた意味も最初はよくわからなかったが、和泉屋の迎え火を見たご近所さんの笑顔といい、和泉屋で迎え火をすると言った時に松を買いに店を何軒も廻ってくれたお客さんといい、みんな和泉屋旅館の亡くなられたご夫妻の事を大好きで、成人式や消防団の宴会や結納や結婚式など和泉屋旅館宴会場での大事な思い出もあるから、迎え火を快く手伝ってくれたり、ご先祖様をお迎えする事を喜んでくれたり誉めてくれたりしたんだなぁ、と気付いた。
でもあの時、松も石も入手できなかったら迎え火を諦めてたと思う😅
松と石探ししてくれたお客様に感謝。
そして今後もお盆に上窪できた際には毎年迎え火をします。
和泉屋旅館のご先祖様あっての、大衆カフェ酒場いづみやなので。
浜松市天竜区水窪の新店和泉屋の屋根と外壁の補修工事に使わせて頂きます。 よろしくお願い致します。