子どもの教育について考えること
2020年コロナ の影響で4月からフルリモートで働いていまして、子どもと向き合う時間がとても長くてなったんです。それをキッカケに、子どもの学校の勉強や、宿題を見る機会が増えてきたわけなんですが、子どもから見てもいつも平日殆ど家に居ない父親がずっと家にいると言う事もあって、嬉しいことに色々頼ってきてくれます。
我が家は現在シンガポール に住んでいるのですが、小学校低学年と中学年の子どもたちが通う日本人学校はこの春、政府の通達により通学禁止されたために、自宅でのビデオ自学およびオンラインでのバーチャル授業などに切り換わりました(現在は再開しています)。希望する生徒へのクロムブックの貸出、課題提出方法の工夫など、学校の先生たちは様々な制約のなか出来る限りの対応をしてくださいました。お陰で子どもがローマ字でタイピングして情報を調べたり、生徒間のチャットで気遣う事を覚えたり、ITリテラシーが向上したのは嬉しい事でした。半面、ビデオ自学にしろ、オンラインでのバーチャル授業にしろ、小学校の低中学年には自立して接続して受講することは難しく、親の手助けが居る状態でもありました。
両親が働きに出て、子どもはメイドさんが見ているという日本人家庭も多いシンガポールでは、コロナ禍でも出社がマストな業種の場合は、子どもとメイドさんだけが自宅に居る状態になったり、親は居るけどバーチャル会議で子どもの相手が出来ず、宿題の提出が遅れるとか、授業には入れないこどもが出るという問題も浮き彫りになっていました。
一方で、日本でも多くの学校が休校措置をとっていましたが、その間宿題が紙ベースで出され、実施状況は生徒にまかせているという話も聴きました。とくに義務教育の子どもたちの学習進度に遅れが発生するということは、転校生などが困らぬよう、全国的におおよそ同様の教科書とカリキュラムおよび進度で授業を進めてきていた(という認識)日本の義務教育に何か影響はないないのか?もし影響があるならば、どうリカバリーするのだろう?という疑問がわきました。わが子が日本に戻った際に、合流するであろうその日本の義務教育の現場がどうなっているのかに興味が湧いてきたのです。
そこから、日本の学校の先生達が集うバーチャル会議や、イベントに参加して、学校の経営者、先生、私同様に感心を持つ保護者との会話を繰り返ししてきました。
そんな場所に集まる先生方はとても熱く、ハートフルな方ばかりで、こんなかたばかりなら!と安心した一方で、やはり意欲的でない先生や、新しい事をはじめようとする際に立ちはだかる上役の存在(教育委員会や学校間のバランスを気にされるのだとか)など、さまざまな力学がはたらいている学校組織の実態を伺い知ることも出来ました。
他方、保護者の側にも義務教育をある種の保育機能として見ていた事も否めない事実でした。子どもが学校にいけずに、家にいるようになった際に、多くの親が出勤するか休むかを悩んだのも、それを如実に物語っていると思います。
コロナ によるワークシフトにより、リモートワークを推奨し働き方を大きく転換できる職場と、店舗や病院などの出勤が必須となる職場と二極化していった場合、義務教育の在り方も、親や子どもがいくつかの選択肢から選び学べるというオプションがあっても良いのではないかと素人ながら思ったりもしました。
こんなことを考える機会に恵まれた事もあり、義務教育ってどうあるべきなのか、ということをもう少しだけ考えてみたくなってきました。
最終ゴールは、日本の子どもたちが、将来日本国の国力を高める事の出来る大人にすることだと思っています。
その為に、自分には何ができるのか?
今はまだ駆けだしたばかり。先ずは、既に出ている教育実践家の講演録や映像を拝見して勉強させてもらっています。
もし、こんなイベントあるよ、この記事は参考になりそうだとか、あれば大歓迎です。
2020年、オンラインで沢山の方にお会いし、たくさんの価値観に触れ、自分の中の考え方が揺れ動いていることに気づきました。この瞬間に、感じたことを言葉で表現してしてみる事にしました。 子育ての事、教育こと、人に関すること、外国人の上司と働くと言うこと。つれづれなるままに。