過去のことを話すとき
「あの頃はよかった」
「あの時は辛かった」
などという言葉を周りから聞くことがある。
その人たちの表情や語気から様々な感情が込められているんだろうなと察する。
私も過去のことを話すとき、そうなっているんだろう。
おそらくいい顔はしていない。(なんかイヤだな)
「あの頃はよかった」は年配の方が言っている印象。バブルを経験している世代。
「そうなんですね〜」なんて相槌しながら
-あの頃を更新できていないのかな
-あの頃を経験していない人にマウントを取りたいのかな
などと考える。
「あの頃はよかった」と言っても過去には戻れない。
でもなんだか嬉しそうに話すから
「あの頃はよかった」と思えるような日々・生活を人生の中で過ごせたということは幸せなことなのかもしれない。
だがこちらとしては「あの頃はよかった」になんと返すのが正解なのかわからない(めんどくさい)ので
どうぞ同じ時代を生きた方や、飲み会の場などで話していただいて😅と思ってしまう。
でも、私もいつか自分より若い人相手に「あの頃はよかった」とか言っちゃうのかな。
そんな年配にはならないように気をつけよう。
「あの時は辛かった」は世代関係なく言ってる。
「大変でしたね〜」「そんなことがあったんですね〜」なんて言いながら
-まだその「あの時」を抜け出せていないんだろうな。
と感じる。
-辛かったのは事実なんだろうけど、今の状況結構恵まれてない?
とも思う。
その「あの時」の話を繰り返ししている人もいる。
よっぽどその人にとって「あの時」が強固なものになっているんだろう。
そういう私も「あの時は辛かった」という話を人にしたことがある。
しかも同じ人に繰り返し。
でもこの頃、
他人の「あの時は辛かった」話を聞いたおかげで
私もこの人たちのように苦しそうに恨めしそうに過去のことを話していると思われているんだなと自分の言動を客観視できたから
今は「あの時は辛かった」という言葉は出る気配がなくなった。
ここまで
「あの頃はよかった」「あの時は辛かった」
という言葉に対してネガティブな印象で書いてきたけどそれは私が
自分の苦労話や過去の栄光を口にすること
=ダサいこと・自分の美学に反する
と思っているからなんだろう。
でも
あまりにも苦労話、過去の栄光の話をしないと
【人間味がない】とか【今とても幸せで充実した人】だと思われて色々不利益を被るんだよな(被ってきた(白目))
美学と不利益の折り合いをつけた上で
過去のことを話すときは
・長々と話さない
・感情を入れずにたんたんと話す
・(話慣れてきたら)内容をポップにユーモラスにする
に尽きる。
また反対に、人から過去のことを話されたときは相槌を打ちながらできるだけ自分の心には留めないのが精神衛生を保つのにはいいんだろう。
もちろん、自分自身や大切な誰かからの話ならしっかり耳を傾けたいと思う。
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