夕べの鐘
音楽の教科書に載っていても不思議ではない歌なのに、教わった記憶がない。いつどこで聞いたのか、歌詞もはっきりした題名も記憶にないまま、私の頭の中で消えずに回っている歌がある。
昔の人 今や何処
訪れ来て たたずめば
そのあとは続かず、「家鳩の羽ばたきに 乱れて消ゆ軒のつま」だけ思い出せる。そんな状態が、ある日曜日の新聞にこの歌が載っていて、初めて全体を知ることができた。
記事は小津安二郎さんの思い出を書いたものだが、「東京物語」という映画のあの最期に使われた「夕べの鐘」がこの歌だったのだ。小津さんの映画は、スリルもサスペンスもない。日常のさりげない出来事が描かれ、セリフが淡々と流れる。「退屈」と嫌う人もいるそうだが、どんな終わり方をしても見終わった後に、ほのかな温かさが残ったのを覚えている。
共同で「東京物語」の執筆をしていた野田高梧さんは、雑談の中でストーリーを創っていくそうだ。ようやく原稿用紙に書き始めた日、助監督の塚本芳夫さんが、白血病で入院、10日後に亡くなってしまった。塚本さんは小津さんを慕って松竹に入り、師事した。陸軍から「映画を作れ」と言われ、小津さんがシンガポール徴用された際も従った。敗戦で収容所に入れられ、その後帰還することになったが、帰還船に全員乗れないと分かった時に、「俺は後でいいよ」と言って乗船権を譲った小津さんとともに残った人だそうだ。
塚本さんが亡くなった時のがっくりしている小津さんの姿が忘れられないと、周囲の人は言っているそうだ。自分の作品を残すことなく39歳で逝ってしまった弟子への追悼の意がこの歌ではないかという。
聞き覚えのある曲だと思ったら、フォスターの「春風」が原曲なのだ。同じ曲なのに「春風」は喜び、希望を感じさせるが、「夕べの鐘」は気のせいではなく、鎮魂の感じが強い。それがこの曲が選ばれた理由なのかもしれない。長い間胸の中にかかっていた雲が晴れたような気はするが、この歌にまつわる物語は、胸が痛むようなものであった。
夕べの鐘
作詞 吉丸一昌 曲 フォスター
昔の人今や何処 翠の風岸をそよぐ
おとずれ来てた佇めば 川のほとりさまよえば
たそがれ行く空をたどり たそがゆく野地を越えて
通いてくる鐘の声 おとない来る鐘の声
家鳩の羽ばたきに 牧の子が笛の音に
乱れて消ゆ軒のつま 消えては行く村はずれ
(H21.8.2)
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