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誰からも称賛されるような特別な存在になろうとしてはいけない

人間である以上は誰であれ人から称賛されることは非常に嬉しいことだと思うのですが、それでも私が思うには誰からも称賛されるような特別な存在になろうとしてはいけないのではないかと思うのですね。

皆さんのなかには人から称賛されることを過剰に求めるあまり「誰からも称賛されるような特別な存在になりたい!」というふうに思われている方もいるかもしれないのですが、私が思うにはこのようなタイプの方は非常に生きるのがつらくなってしまうのではないかと思うのです。

なぜなら我々人間は人間である以上は誰であれ『誰からも称賛されるような特別な存在』になることなどできないからなのですね。

確かに私たち人間は一時的に人から称賛されいい気分になることはできるのですが、それでもいつも誰からも称賛されるような存在になることなど絶対にできないのです。

そのような経緯から考えるに常に他者の目を気にし人から称賛されることを過剰に求めてしまうというタイプの方は常に誰からも称賛されることを求め、逆に他者が自分のことを見下したりバカにしてきたりすることに対して過剰に腹を立てることになることから、その多くは生きることが非常につらくなってしまうのではないかと思うのですね。

そのため皆さんにはこのような『誰からも称賛されるような特別な存在』になることは絶対に追い求めてほしくはないというふうに考えているのですが、今回の記事ではそのような誰からも称賛されるような特別な存在になることを求めてしまうことによって生じるデメリットについて見ていきたいと思います^^

誰からも称賛されるような特別な存在になろうとする人たち

友情10

皆さんのなかにもおられるかもしれないのですが、世間には一定数『人から称賛されること』を過剰に求めてしまう方たちがいるのではないかと思うのですね。

これは以前他の記事でも書いたのですが、私が思うにはこのようなタイプの方たちの多くは「人から称賛されることが人生における最大の幸せ!」というふうに考えている節があり、他のどの欲求よりも人から称賛されることを求めてしまうのではないかと思うのです。

その結果このようなタイプの方たちは常に「人から称賛されるためにはどうすればいいのか?」ということを考え、常に人から称賛されることばかりを追い求めてしまうことになるのではないかと思うのですね。

それではなぜこのようなタイプの方たちが人から称賛されることを過剰に求めてしまうのかということなのですが、私が思うにその根底にあるのが『人から称賛される人間であればあるほど価値がある』という価値観なのではないかと思うのです。

要はこのようなタイプの方たちは『人から称賛される人間=価値がある人間』『人から称賛されない人間=価値がない人間』というふうに考えているからこそ、「自分は価値がある人間なんだ!」というふうに思いたいことから人から称賛されることを過剰に求めることになってしまうのではないかと思うのですね。

そのためこのようなタイプの方は次第に「誰からも称賛されるような特別な存在になりたい!」というふうに自分が誰からもいついかなる時も称賛されるような特別な人間になりたいというふうに思うことになるのですが、それでも私はこのような欲求を抱くことは非常に危険なのではないかと思うのです。

それでは一体なぜこのように誰からも称賛されるような特別な存在になろうとすることが危険なのかということなのですが、私が思うにはそこには主に4つの理由があると考えているのです。

その4つが

1.常に人からどう思われるかばかりを気にしてしまうから
2.人から称賛されたいという欲求に終わりはないから
3.人からバカにされたり見下されたりすることを過剰に気にしてしまうから
4.そもそも誰からも称賛されるような人間になることなど無理だから

というものとなっています。

ここからは1つずつ見ていきたいと思います^^

まず1つ目の『常に人からどう思われるかばかりを気にしてしまうから』というものからなのですが、このようなタイプの方は人から称賛されることを過剰に求めるあまり常に人からどう思われているかばかりを気にしてしまうことになるのです。

なぜなら常に「人から称賛されたい」「人から良く思われたい」というふうに思っていることから「人からどう思われているか?」「人から良く思われるためにはどうすればいいか?」ということばかりを気にしてしまい、その結果常に周囲の目を気にしながら生きることになるからなのですね。

その結果このようなタイプの方は人生において本当に自分がやりたいと思うことや好きだと思うことに時間を割くことができなくなり、自分が送りたと思っている人生ややりたいと思っていることをする人生を送るのではなく、人から良く思われる人生ばかりを送ってしまうことになるのです。

しかし人生において本当に大切なのは人から称賛されることや人から良く思われることではなく、自分のやりたいことをやったり自分の好きなことをやったりすることなのではないかと思うのですね。

そのような経緯から考えるに人から称賛されることを過剰に求め人からどう思われているかばかりを気にしている人生は自由がなく、非常に面白味のない人生となってしまうのではないかと思うのです。

しかしこのようなタイプの方たちは「人から称賛されることが人生における最大の幸せ!」というふうに考えていることから、知らず知らずのうちにこのような他者の目ばかりを気にした不自由な人生を送ることになり、その結果自分が本当にやりたいと思えることや好きだと思えることを犠牲にした人生を歩むことになるのではないかと思うのですね。

そしてこのような周囲の目ばかりを気にして人から称賛されることばかりを求めた人生は非常につまらなく面白味がないものであると思うことから、このような「人から称賛されることが人生における最大の幸せ!」という生き方は危険なのではないかと思うのです。

もちろんなかには「本人が人から称賛されることを求めているのであれば、人から称賛されることばかりを求めた人生でもいいのでは?」というふうに思われる方もいるかもしれないのですが、個人的にはそのような人生の送り方は非常にもったいないのではないかと思うのですね。

なぜなら人生というのはやはり自分がやりたいと思うことや好きなことを思う存分にするものであるべきだと思うことから、このような他者の目ばかりを気にした人生の送り方は非常につまらないものだと思うからなのです。

そのような経緯から私は他者からの称賛ばかりを求めた人生は非常に危険なのではないかと考えているのですね。

続いては2つ目の『人から称賛されたいという欲求に終わりはないから』というものについて見ていきたいのですが、このような「人から称賛されたい!」という欲求には終わりがないのです。

確かにこのようなタイプの方も人から称賛されたその瞬間は「俺は価値のある人間なんだ!」「私は他の人よりも凄い人間なんだ!」というふうに悦に入ることができるかもしれないのですが、それでもそのような快感は一瞬にして過ぎ去るものであり、その後しばらく時間が経つと再び「人から称賛されたい!」という欲求が沸々と湧いて出てくるものなのですね。

そのためこのようなタイプの方はどれだけ人から称賛されたとしてもその瞬間はいい気分になることができるものの、それでも本当の意味で満足することができることがないことから結局いつまで経っても「もっと称賛されたい!もっと称賛されたい!」と人から称賛されることばかりを求めてしまうことになるということなのです。

そしてこのように人から称賛されることを求めていると本当の意味で自らの人生に満足することができず、刹那的な満足感と長期間の飢餓感に苛まれてしまうことになることから『誰からも称賛されるような特別な存在』になることを求めてはいけないと私は主張しているのですね。

続いては3つ目の『人からバカにされたり見下されたりすることを過剰に気にしてしまうから』というものについて見ていきたいと思うのですが、このように人から称賛されることを過剰に求め『誰からも称賛されるような特別な存在』になりたいと思う方は逆に人からバカにされたり見下されたりすると過剰に腹を立てる傾向があるのです。

その理由は非常に単純で誰からも称賛されるような特別な存在でありたいと思っていることから、逆に自分のことをバカにしたり見下したりする人間がいると自分のことを敬うどころか下に見てきたということで過剰に腹を立てることになるからなのですね。

しかしこれは非常に当たり前の話なのですが、やはり生きていれば自分のことをバカにしてくる人間や見下してくるような人間がいるのは当たり前の話であり、そしていちいちそのような人間からの心無い言葉に過剰に傷ついていても仕方がないのではないかと思うのです。

もちろん人間である以上は人からバカにされたり見下されたりすれば非常に腹が立つことだと思うのですが、それでも大切なのはいかにそのような他者の心無い言葉を引きずらずに早く気持ちを切り替えるのかということなのではないかと思うのですね。

人からバカにされたり見下されたりした際には誰もが同じように傷つき相手に対して腹が立つことだと思うのですが、なかにはこのような他者からの心無い言葉や態度に一時的には傷つくもののその後すぐに気持ちを切り替えることができる方と、このような他者からの心無い言葉や態度に過剰に傷つきいつまでも腹を立てているという方がいるのではないかと思うのです。

そして人生をより充実させたものにするためには前者と後者どちらがいいのかと言われれば、それは当然ながら前者であり例え人からバカにされたり見下されたりしてもすぐに気持ちを切り替え忘れることが大切なのではないかと思うのですね。

しかし人から称賛されることを過剰に求め『誰からも称賛されるような特別な存在』でありたいというふうに思う方はこのような他者からの心無い言葉をいつまでも忘れることができずに腹を立てることになることから人生の貴重な時間をどんどん悲しみや怒りに奪われてしまうことになるのではないかと思うのです。

そのような経緯から人からバカにされたり見下されたりしたとしてもそれを過剰に気にしないために、私は誰からも称賛されるような特別な存在になることを目指さないほうがいいのではないかと主張しているのですね。

それでは最後に『そもそも誰からも称賛されるような人間になることなど無理だから』というものについて見ていきたいと思うのですが、これは非常に当たり前の話なのですが、我々人間は誰もが誰からも称賛されるような特別な存在になることはできないのです。

我々人間は誰もが長所もあれば短所もあり、人から称賛されることもあれば自分以外の人間のほうが注目されることもあることから常に誰からも称賛されるような特別な存在になるなど誰一人としてできないのですね。

例えば頭が良い、運動神経が良い、顔立ちが整っている、料理ができる、歌が上手などという特技があればその点が注目されている際には周囲の人間からは称賛されることができるかもしれないのですが、それでも我々人間は常に誰からも称賛されるような存在であることは不可能なのです。

例えば運動神経が良い方(男性)は運動をしている際には多くの方から称賛されることができるかもしれないのですが、それでも例えば合コンの際に相手側の女性が「収入が高い人が好き!」というふうに思っている方たちであれば運動神経が良い方はそれほど注目されず収入の高い人ばかりが注目を浴び「すごーい!」と称賛されることでしょう。

このように我々人間は長所もあれば短所もあり、特技もあれば欠点もあることから一時的に人から称賛されることはできたとしたとしても常に誰からも称賛されるようなことは絶対にできないということなのです。

しかし『誰からも称賛されるような特別な存在』になることを求めているという方は自分以外の人間が自分以上に称賛されているところを見ると過剰に嫉妬したり、常に自分が一番注目されていないと気が済まないことからこのような自分以上に称賛されていたり注目されている人間がいると過剰に腹を立てることになるのですね。

そしてこれが誰からも称賛されるような特別な存在になることを求めないほうがいいと私が思う最後の理由となっているのです。

ここまで誰からも称賛されるような特別な存在になることを目指さないほうがいいということについて見ていったのですが、前述したように私が思うにこのような欲求の根底にあるのは『人から称賛される人間であればあるほど価値がある』という価値観なのではないかと思うのですね。

このようなタイプの方は『人から称賛される人間=価値がある人間』『人から称賛されない人間=価値がない人間』というふうに考えており、「自分は価値がある人間なんだ!」というふうに思いたいことから人から称賛されることを過剰に求めてしまうことになるのではないかと思うのです。

しかしこのような「人から称賛されたい!」という欲求に終わりはありませんし、そもそも人間である以上は誰からも称賛されるような特別な存在になることなど絶対にできないのですね。

そのような経緯から考えるにこのような人から称賛されることを過剰に求めてしまうという方は結局本当の意味で幸せになることなどできないのではないかと思うのです(-_-;)

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