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死にたくなる理由も違う、わたしたち

どうして人と違うんだろう。
感じ方が違うんだろう。
おかしい。
おかしいのはわたしのほう?
わたしのどこがおかしいのだろう?

多数派か少数派でいったら、絶対に少数派なんだ。
だから共感されないし、うまくいかない。
でもね。
それってそんなに悪いことかな。

人間はみんな違っている。
うまれつきのかたちも、感じ方も、経験も。
死にたくなる理由も違う。

わたしはね、死にたいっていうか、
その前に、生きていることが「おかしい!」って感じなんだ。
「わたしは許可した覚えはない!」って感じなんだ。

小学校の低学年になったころには、
生きることが大前提になっている不条理さにうちのめされそうだった。
「おかしいでしょ!?」ってね。
それは怒りというより、恐怖だった。

わたしは、自分で選びたかったのかもしれない。
なにもかも、思い通りにしたかったのかもしれない。
でもね。
それってそんなに悪いことかな。

生きるって不思議だよね。
死ぬのはわかる。
水をあげなかったら花は枯れる。
命は不可逆。
こわしてしまったら、2度と元にはもどらない。
不可逆なものは、簡単に勝手にこわしてはだめなんだ。

でも生きることはどうだろう?
こんなに不思議で、恐ろしくて、どうしようもないことってあるだろうか?
わたしはもう2度と経験したくない。

だから親には表面的な感謝しかしていない。
小さい子供にも興味がない。
「人間の命をつなぐ」ことがそんなにいいことだとは思えないんだ。

でもね。
自然にはとても敬意を払っているよ。
うごめく虫は苦手だけど。植物は綺麗だよ。
螺旋状でシンメトリーで。色もすごくて。
雑草はいろいろな種類が混じっているから大好きだ。
だけどちゃんと監視して少しずつむしらないと、急激に繁殖するんだよ。

その勢いは人間の暮らしを侵略するレベル。
下手すると雑草むしってばかりで人生が終わっちゃうほどのレベル。
ほんとうにね、人間が生きるってのは自然との戦いなんだよ。
わたしはそう思う。

その戦いに、どっちが勝つと思う?
人間がこの世からいなくなったら、地球はたくさんの植物で覆われる。その光景を思い浮かべると、わたしの気持ちはとても穏やかになるんだ。
この気持ちは大事にしたい。

違う気持ちのひとからみれば、間違っていて、おかしくて、褒められたものではないことは知っている。

それでもわたしは直感を大事にする。
直感を、殺人ではなく、傷つけることではなく、否定するためでもなく、生きること、癒すこと、認めることにつなげたい。
わたしはそう思う。

ところで。
図書館の本とか、この世にあるすべての本って、一生かかっても読破できないよね。

でもそのどれかに、解けない疑問への答えが書かれているとしたら?
ゾクゾクするような展開で度肝を抜いてくれる空想世界や、クラクラするほど美しい模様が凸凹の装飾がついた本は確実に存在する。
そうした本を読まないのは、やっぱりもったいない。

たとえば哲学の本。
数千年も前に生まれた人が、同じことで悩んでいたなんて!
いいこといっぱい書いてあるじゃないか!
わたしはびっくりしたよ。

でも昔の本を翻訳した本って難しいよね。
わたしには現代の『ソフィーの世界』だって難しかった。これが14歳のためにかかれたの? やっぱりおいらは相当バカだよなぁと、卑屈にならずにはいられなかったよ。
ただ『人間は進化とともに成長する』的なことが書いてあった箇所には「そんなわけないだろ!」って激しくツッコミを入れたかった。

あと本のなかで『国連軍で働く父親』が出てくるんだけど、どうしてだと思う?
こっちの本を読むとわかるよ。
もしよかったら図書館で会いましょう。

もう秋が始まるね。
栗ごはんが食べたいな。
もう何年も食べてない。

栗を剥いてるとさ、何個かに1個はイモムシが出てきて「ギャー!」ってなる。
やっぱり生きるって自然との戦いだよね。

え、そういう経験ない? 
うーん、もしイモムシに遭遇せずに栗ごはんを食べられているのなら。誰かが代わりにギャーってなってくれてるのかもね。
すごい農薬とか農法みたいなのが開発されたのかもね。

開発といえばさぁ。
わたし商品をつくる仕事をしてたんだ。
つくってもつくっても直すところがあるから、欠点を見つけ出して改善し続けて、あたらしい商品として発売していた。

結果はたくさんの人に受け入れられたら大成功。お金がもうかる。
受け入れられなかったら大失敗。つくったものは全部廃棄よ。
その繰り返しだったのよね。

わたしも悪いところを探して見つけて改善しなきゃっていつも考えてた。
成長とか差別化ってそういうことでしょ、って勘違いしてた。
やらなきゃ人には受け入れてもらえない。
たくさんの人に認めてもらえない、って。

あれ?
商品の話だっけ、わたしの話だっけ?
なんか構造が似てるなぁ。

成功か不成功か、世の中に必要なのか不必要なのか、その判断を支持者の数や共感やお金の大きさにゆだねてきたけれど。
世の中にはそうじゃない仕事をしている人もいるわけよ。
もっと変わったものの見方や生き方を知っていて、それで仕事をしている人が。

チクショウ、うらやましい。

わたしにはなにができるだろう。
わからない。
これから考える。

そんなこんなで秋が終わっていくよ。
でもその前に。栗ごはんは絶対食べなきゃ。

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