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日向坂46『希望と絶望』に見る「希望」と「絶望」が意味するもの

「欅共和国」を受け継ぐもの

今まで、なんとなく観ていなかった日向坂46のドキュメンタリー『希望と絶望』を観る。日向坂46は配信でしかライブを観ていないけど、ある時期から彼女たちの歌が暗くなったなぁ(歌自体が暗いのもある)と思っていた。本編(映画というよりテレビの特番みたいだ)が描いていた2年ぐらいの間で、彼女たちは「絶望」を知る。絶望の先にあるのは、多分「大人になること」なのだろう。ドキュメンタリーはすべてを見せるわけでもないし、真実を語るものでもない、作り手の主観による“物語”である、という前提のもと、日向坂の「希望」と「絶望」を分析してみる。

2021年に入った頃からメディア露出が格段に増えた日向坂46は消費されるコンテンツとなった。そして、本当に彼女たちの心身が削られていく過程が描かれていく。レコメン火曜日の変化は顕著だったと思う(だんだん聴かなくなってしまった)。そんな中、コロナ禍で初の大規模有観客ライブとなるW-KEYAKI FES. 2021を迎えることになる。
W-KEYAKI FES. 2021において、日向坂46は自分たちが考える「アイドルとはこういうもの」を体現しようとした。クライマックスを盛り上げるのはひらがな時代の楽曲だし、最後は2坂道合同の『W-KEYAKIZAKAの詩』となれば、「欅共和国」を引き継ぎ、再現したい意思があったと思う。2日目は炎天下での公演となり、想像を絶する過酷な環境ながら、彼女たちなりに共和国を再建できた達成感があったかもしれない。

しかし、運営側の評価は、すこぶる悪かったのである。

「欅共和国」時代、ひらがなけやきは漢字欅を脅かす存在であり、瞬間的なピークでは超えていたかもしれない。2021年現在、ひらがなけやき=日向坂と漢字欅=櫻坂の立場は逆転してしまった。しかし、このときの日向坂には「希望」と呼べるような目標が見出せない状態だったのではないか。運営は「欅共和国」の再現ではなく、共和国を超えるものを、と言いたかったのかもしれない。多分、その伝え方がよくなかったことが、彼女たちの「絶望」を深化させた。
一方、改名リスタートから半年ちょっと櫻坂46は「KEYAKI」の名を冠したイベントで、「欅」の呪縛からどれだけ遠くに行けるかという、日向坂とは真逆のスタンスだった。彼女たちは欅坂の曲を期待されながら櫻坂の曲を貫いた。欅坂の曲をやらないということは、櫻坂の少ない持ち歌でやりくりし、日向坂・櫻坂で欅・けやき曲のコラボやシャッフルもないという結果となったが、これも「KEYAKI」の名を冠したイベントでありつつ、「欅・けやき」を超えるものをつくりたいという意図もあったのだろう。であれば、W-KEYAKI FES. 2022が日向坂・櫻坂が完全セパレートの開催となったのも、それぞれの方向性で2021のリベンジを図るという意味合いが生まれる。

W-KEYAKI FES. 2021後のツアーで、彼女たちの心身はいよいよ限界を迎える。実際問題として、セットリストの調整は必要だし、個々人の外仕事とグループの活動が両立できるようにバランスをとっていかないといけない。彼女たちは、敢えていえば、妥協の落としどころを模索しはじめる。それが奏功したか、ようやくグループが息を吹き返しはじめる。彼女たちは「絶望」から脱することはできたのか?

日向坂の「ひな」型

そして、東京ドームのひな誕祭を観たとき、「あれ、彼女たちはこんなに没個性だったっけ…?」と自分を疑った。W-KEYAKI FES. 2021のときとメンバーは変わってないはずなのに。丹生の『ドレミソラシド』、金村の『青春の馬』など、センターが変わったときに楽曲の色も変化する印象があったのに、そういう楽曲ごとの凸凹感というかメリハリ感が失われているような気がした。そう、この頃から、彼女たちの歌が暗く感じるようになってきたのだ(あくまで主観だけど)。
しかし、ドキュメンタリーで描かれている、ライブ後のメンバーは一定の達成感を感じているようだ。崩壊の危機にあったグループは、小坂の帰還とともに再度結束を強め坂道をのぼりはじめた……という展開だろうか。劇中では、そのような物語に回収されることを嫌うメンバーが多いことも語られていたが、思いっきり回収されている。「絶望」から脱する、ということは大人になるということなんだろう。それはつまり、自分たちが壊れない、グループがバラバラにならないギリギリのラインを見つけるということだ。
違う言い方をすると、日向坂46としてのテンプレートができたということかもしれない。全体的な理想として小坂、歌唱面は齊藤……みたいな感じで、平準化されたラインがあって、そのクオリティを保持していくというシステムが構築されている感じがする。そして、今後はそのテンプレートをアップデートしていくことで、グループとして拡大成長していく……。アイドルグループとして、強く、大きくなるための強固なフレーム。その観点から、四期生たちを見ると、彼女たちもテンプレートにはまってる感じがする。
W-KEYAKI FES. 2021後に運営からいわれた、ひらがな時代にあった「がむしゃらさ」は「希望」を象徴するものだった。「絶望」が彼女たちにもたらしたのは、日向坂が今後乃木坂のように拡大成長できるようなロードマップだ。

失われた「希望」を受け継ぐもの

対して、同世代となる櫻坂三期生は、例えば次のような言葉がかけられる。

(涙を流す石森を見て)石森、なんかいろいろあるんだろ? でも泣けるのはいいことだよ 泣けるってことは、その泣ける人の気持ちがわかるという人だから。こういうことはいっぱいある。パフォーマンスしてハプニングが起きたり、誰かが辛くなる日があるんだけど、メンバーがそのときに一緒に辛くなる気持ちがあるんだけど、ステージの上では必ず引っ張り上げてあげること。なので一緒に辛くなるんじゃなくて、だったら私たちが二倍パワーを出そうよとすると、石森もよしいけるぞ、となるから……

TAKAHIRO/三期生ドキュメンタリー『私たち、櫻坂46三期生です』Episode 06

メンバーの言葉にならない感情を「いろいろあるんだろ?」と突き放すように見えて、すべてを包み込み導くような。渡邉美穂が思い描いたのは、こんなグループの在り方だったんじゃないだろうか。日向坂の不幸は、そんな大人に恵まれず自分たちで成長していかなければならなかったことかもしれない。最後に「幸せになってほしい」とキャプテンに語りかける彼女の言葉は、切なく、重い。「希望」だけでは、いつかは息切れしてしまう。「絶望」を受け入れてから、彼女たちのもうひとつの人生がはじまる。

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