[イヴ・コンガール] わたしは聖霊を信じる(5)
イヴ・コンガール著『わたしは聖霊を信じる』を読む。今回は第一巻第二部「キリスト教の歴史において」から断片的ではあるが、著名な人物に関連した箇所を取り上げてゆきたい。
(以下、本書P.101-126より適宜転載)ーーーーーーーーーーーー
・「使徒たちが、至るところで、天の御国の到来という福音を告げ知らせるために出かけて行ったのは、聖霊によって与えられた確信に満たされて」のことであった。
・諸々のカリスマの中で、最も重視されたのは預言のカリスマであった。『十二使徒の教訓』は預言者の役務に非常に大きな場を与えており、その真正性を判断する基準を提示しているが、主の威厳に満ちた司教(監督)と助祭(執事)も「預言者および教師の役務を果たす」ことを指摘している(15・1)。
・その大著『全異端反論』の第三巻を結ぶにあたって、エイレナイオスは、御霊を信仰と教会を生かす根源として称揚している。・・・彼は、教会と御霊との間に、相互の、そして、いわば、一方なしには存在しえない二つの到来の依存関係をみているのである。次のように言うこともできよう。御霊がおられるところ、そこには教会もある、逆に、教会のあるところ、そこには御霊もおられるのである。
・西方においては、テルトゥリアヌス(222-23年没)の天分のおかげで、テルトゥリアヌスの神学はまだまだ不十分なものではあったにしても、三位に対する信仰告白に用いられる語彙ならびに概念は著しく発展したものとなっていた。テルトゥリアヌスも、われわれが唯一の神における「第三のもの」として聖霊に対する信仰を告白する洗礼に言及している。「三位一体(Trinitas)、三つの位格(tres personae)、一つの実体(una substantia)という周知の表現句」は彼に由来する・・・
・彼(アウグスティヌス)の聖霊に関する考えは、さまざまな著作の内に展開されているが、特に399年に着手し419年に完成した『三位一体論』の内に詳しく論じられている。その書の中で、アウグスティヌスは、三位の秘義の全体に関する、比類なく雄大で深遠な省察を提示している。
・アウグスティヌスは、ある特徴が御父と御子とに共通する事実から出発する。・・・御父は御子の御父にほかならず、御子は御父の御子にほかならないが、御霊は両者の御霊である。つまり、マタイ福音書10:201とローマ書8:11によれば御父の御霊であり、またガラテヤ書4:6とローマ書8:9によれば御子のーキリストのー御霊である。したがって、御霊は完全に区別されるものではあるが、御父と御子とに共通のものであり、両者に共通の聖性であり、両者の愛であり、平和の絆による御霊の一致なのである。
・アウグスティヌスは、しばしば、聖霊を「(神の)賜物」と呼んでいる。・・確かに、御霊はそれを「所有」し享受しうる被造物が存在するかぎりにおいて与えられるものではあるが、「与えられうるもの」として、またこの意味で賜物として、永遠に発出するのである。つまり、これは御霊の特性の一つであり、御霊に固有の名称の一つなのである。御霊がわれわれに与えられると、神の内にあって愛と平和の一致を確立するのと同じ根源によって、御霊はわれわれを神と、そしてわれわれ同士を一つに結び合わせるのである。・・・実に、御霊は教会の一致の根源として与えられるのである。
・ここでわれわれはアウグスティヌスの教会論の核心に触れている。・・・アウグスティヌスは教会の内に二つの面もしくは二つの円(circles)をみている。すなわち、一つはキリストの業である「コンムニオ・サクラメントールム」(秘跡による交わり)であり、もう一つは聖霊の業である「ソチエタス・サンクトールム」(聖徒の集い)である。この核心をアウグスティヌスは「エクレジア・イン・サンクティス」(聖なるものらによる教会)、「ウニタス」(一致)、「カリタス」(愛)、「パックス」(平和)と呼び、さらには「コルンバ」(鳩)と呼んでいるが、その根源は聖霊だからである。聖霊は教会の内にあって、体における魂のような役割を果たしているのである。
・彼(アウグスティヌス)の教会観は、真に神=学的な深みに達している。神は、御父と御子との間の絆である御霊ご自身によって、ご自分のもとにわれわれ皆を一つに集めようとしておられる、すなわち、<聖霊のうちに、神の民は一つに集められる>のである。・・・教会における、また恩恵によるわれわれ個々の生における聖霊のこの役割は名状し難いまでに重要である。・・・御霊は、御子を通しての御父のもとへのわれわれの帰還の根源でもある。御霊は、われわれを神に向かわせ、神のもとにわれわれをたどり着かせる、心の奥底から湧き出る憧憬である。「donec requiescat in Te ーあなたのうちに憩うまで[安らぎを得ることができない]」。
ーーーーーーーーーーーー(以上、転載おわり)
まずは古代教会からアウグスティヌスまでの歴史を、早や足ではあるが読んでみた。
今回紹介した箇所からも分かる通り、聖霊論においても、教父アウグスティヌスの功績・影響の大きさがよく分かった。
聖書の中だけでの話ではなく、実際のキリスト教の歴史を見ることで、聖霊と(目に見える)教会のつながりの深さや、聖霊の働き方について、一信徒として、より実践的な視点での学びがあったように思う。
使徒信条(クレド)には「聖徒の交わり」(コミュニオ・サンクトールム)の句があるが、このような学びもまた、天上の聖徒たちの見えざる祈りに支えられながら、一歩一歩、進んで行くものなのであろうと感じられた。