イザヤ書を読む(1)


当ブログは久しぶりの投稿となる。

現在、世界情勢はロシアによるウクライナ侵攻が始まり、予断を許さない状況になっている。
また同時に東アジア情勢も含めて、火種はまだ世界中に残されている。

世界平和とは何か。本当の世界平和はどこから来るのか。私達には何ができるのか。
旧約時代の偉大な預言者にして、新約聖書でも最も多く言及される預言者イザヤ。
およそ2700年の時を超えて響きわたる彼の声に、今あらためて耳を傾けてみたい。

これから読もうとするイザヤ書は以下を使用する。

『聖書 原文校訂による口語訳 イザヤ書』
フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ

構成は以下の通り。
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第一編 第一イザヤ(1-39章)
 表題と導入(1章)
 第一部 イスラエル、ユダとエルサレムについての託宣(2-12章)
 第二部 諸国への託宣(13章-23章)
 第三部 「終末的」部分(24-27章)
 第四部 イスラエルとユダに対する再度の託宣及び約束(28-33章)
 第五部 諸国への罰、贖われた者たちの帰還(34-35章)
 第六部 イザヤとヒゼキヤについての歴史的叙述(36-39章)

第二編 第二イザヤ(40-55章)
 第一部 イスラエルの贖いについてのヤーウェの計画(40-48章)
 第二部 計画の実行(49-55章)

第三編 第三イザヤ(56-66章)
 第一部 真の礼拝と偽りの礼拝(56-59章)
 第二部 栄光の新しいシオン、油注がれた者(60-62章)
 第三部 忠実な者のための新しい天と新しい地、よこしまな者の罰と死(63-66章)
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はじめに、イザヤ書は聖書各書の中でも特に大部(66章)であり、
また多少とも歴史背景が分からないと把握が難しいところがあるため、少し説明を記しておく。
(なお以下の説明はすべて本書解説及び注を参照したものである)

[イザヤの人物像]
・本預言書の作者とされているイザヤは、紀元前765年ごろに生まれた。
 ヒゼキヤの息子であるマナセの治世(紀元前687または698-642年在位)まで生きた。
・イザヤという名前の意味は「ヤーウェは救い」。
・イザヤの家系は、ユダ王国の貴族で、エルサレムまたはその近郊に暮らしていた。
 このことは、イザヤがユダの王およびその宮廷と容易に接触していたことを意味する。
・イザヤは、ユダの王ウジヤ、ヨタン、アハズ、ヒゼキヤという四人の王の治世下に活動した。
 預言者としてのイザヤの召命は、紀元前740年ごろ、ウジヤの治世の最終年だった。

[歴史的背景(1)]
・四人の王の治世下における40-50年にわたるイザヤの預言活動に属する託宣や出来事はすべて最初の39章にのみ収められているため、1-39章は通常「第一イザヤ」と呼ばれる。
・40-55章と56-66章に記されている託宣や出来事は、それぞれ後世のものとされ、「第二イザヤ」、「第三イザヤ」と呼ばれる。
・第二イザヤは、そのもろもろの託宣も、一人の同じ人物に由来していると考えられる。
 これらの託宣が発せられた期間は、前550年から前539年ごろ、すなわち東方におけるキュロスの台頭から、前539年のバビロン入城、続く前538年の捕囚の終焉の宣言までである。
・第三イザヤは、主題と時代に関しては第二イザヤに近いが、構成形式の点では異なっている。
 第三イザヤは最初から典礼における朗読を意図した文書として構成された預言であった。
 関連年代は、紀元前538年に始まる捕囚からの帰還後の混乱期が最も適合する。
・近年の研究は第三イザヤを記した預言者/著者は、別々の二人の人物、
(1)前538年に始まった、捕囚からの帰還後間もなく書かれた、核心部分である60:1-63:6の著者
(2)後世のわずかな編集上の加筆及び56-66章中の核心部分を除く前後の部分の著者
であると結論する。


[歴史的背景(2)]
・第一イザヤ1-39章の託宣の重要な背景として特筆すべき歴史的出来事は以下の三つである。
(1)南王国ユダに向かって北王国イスラエルが隣国アラムと共に攻めてきて、前734年-732年ごろ起こった戦争
(2)エジプトの扇動による、新興勢力アッシリアに対するユダの反乱と、エジプトのユダ援助の不履行
(3)ヒゼキヤ時代のアッシリアによるユダ侵略

以上の三つの事件の背後にはさらに、こうした状況を招いた、より一般的な二つの要因があった。

第一の要因は、イザヤ時代以前にさかのぼる前931年のソロモンの死後、神の民が二つの王国、すなわち北王国イスラエルと南王国ユダに分裂したことである。
理想的な王ダビデ統治下の統一王国は近隣諸国に対してきわめて強力な支配力を振るったが、分裂した王国は近隣諸国に比べて弱小であり、両国とも、イスラエルはアッシリアによって(前722/720年)、ユダは最終的にはバビロンによって(前586/587年)、滅ぼされた。

第二の要因は、イザヤの時代の新興勢力アッシリアである。
アッシリアは、前732年にダマスコに都を置くアラム王国を、その後前722/720年には北王国イスラエルを滅ぼし、他方アハズ王治世下のユダはアッシリアの属国となった。ヒゼキヤの治世下、アッシリアの王センナケリブによって46の防備ある町が奪われた後、唯一エルサレムは占領を免れたが、イザヤの預言どおりバビロニア人により破壊されるに至った。他方将来のバビロン滅亡は、13章の主題になっている。

以上がイザヤ書の簡単な背景である。
次回から本文を読んでいくことにする。

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