貧しい人は幸い

「貧しい人は幸いである」から始まるイエスの教え。一般には「山上の垂訓(すいくん)」と呼ばれるもので、カトリック教会では真福八端(しんぷくはったん)とも言う。フランシスコ会研究所訳(マタイ第5章3-12節)では次の通り。

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自分の貧しさを知る人は幸いである、
天の国はその人のものだからである。

悲しむ人は幸いである、
その人は慰められるであろう。

柔和な人は幸いである、
その人は地を受け継ぐであろう。

義に飢えかわく人は幸いである、
その人は満たされるであろう。

あわれみ深い人は幸いである、
その人は神を見るであろう。

平和をもたらす人は幸いである、
その人は神の子と呼ばれるであろう。

義のために迫害される人は幸いである、
天の国はその人のものだからである。

わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、またあなたがたに対して偽りを言い、あらゆる悪口を言うとき、あなたがたは幸いである。小踊りして喜べ。天においてあなたがたが受ける報いは大きいからである。あなたがたより前の預言者も、同じように迫害されたのである。
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この言葉は、キリスト者の立場から聞くと、特にカトリックの立場から聞くと、特種な意味合いを帯びてくる。

カトリック教会には秘跡(サクラメント)というものがあり、特に洗礼と聖体拝領を重んじる。

洗礼とはキリストの教会への入信儀礼であり、聖体拝領とは一般には主日毎のミサ典礼の中で<キリストのからだ>であるパン(と<キリストの血>であるブドウ酒)を頂くことである。

このようにして、カトリック信徒は自分の心と体の中にキリストを受け入れている。

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は、わたしの内に留まり、わたしもその人の内に留まる。」(ヨハネ福音書第6章56節)

人とキリストの間の、このような交わり方は、また結婚にも喩(たと)えられる。

旧約聖書には雅歌という小編がある。フェデリコ・バルバロ神父の解説によれば、

「雅歌、ヘブライ語では「歌の中の歌」という。カトリック典礼は、雅歌のことばを聖母の祝日、聖婦人の祝日、マグダラのマリアの祝日などに用いている。それは、キリストと霊魂との神秘的婚姻の意味に応用しているからである。」

とのことである。

秘跡を受けているカトリック信徒にとって、「キリストと霊魂との神秘的婚姻」というのは、どこかしら生々しいものである。

カトリック信徒には、キリストとの婚姻の証が、形見のように、磁石のように、胸の奥に埋め込まれているかのように感じる時がある。

男女間において、結婚式と結婚証明書という、公な客観的な立場の宣言が、逆に相互の内的な心の結合をも固める働きをするように、洗礼式をはじめとする秘跡典礼は、単なる形式主義とは呼べない、深く実存に響く影響をもたらすものである。

そしてその埋め込まれた胸の奥の磁石の共鳴・共振によって、人生の折々の苦しいとき、悩めるとき、倒れそうなとき、イエス・キリストの十字架を心を開いて仰ぎ見ると、どこからともなく生気が注がれる体験をすることがある。

時と場所を隔てていても、愛する者同士は、お互いの危機を瞬時に察知することがあるように、信者の魂の呻(うめ)きを瞬時に察知するかのごとく、見えない力が訪れる。

それは復活の力、復活の霊という表現が当てはまるような事態である。

「愛する者は、戸の穴から、手をさしこんだ。そのとき、急に、私の心は踊った。」(雅歌第5章4節)

と雅歌にある。

これを理屈で説明することは困難である。他人に信じることを強制することは決してできない類のものである。

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人は誰でも皆、悩み苦しみを避けては生きられない。

しかしキリスト者には、苦しい時には復活の力がやってくる。それが恵みであり、また福音でもある。

自分の力によらず、他人の力にもよらず、ただ信仰によってキリストからの救いの力が訪れる。

カトリック信徒は、この信仰が、教会共同体の秘跡典礼により培われ、養われることを知っている。

このことは弱い人こそ実感できる。

弱い人はこの世的な困難に会うと、すぐ倒れる。
普通の人よりもすぐに折れる、倒れる、打ちひしがれる。

しかし十字架を仰ぐと、立ち直る気力が注がれる。 

その気力は、ときに身体の衰弱すら回復させてしまうこともある。

人生の幸不幸の起伏の中で、自己の力でどうすることもできず倒れては、聖霊の力により起き上がらされる。

これを小さく、あるいは大きく、何度も繰り返すことの中で、イエス・キリストとの絆は徐々に深まっていく。

信仰・希望・愛が深まっていく。

それは大切な人との人間関係がそうであるように、決して知識や才能の次元に還元されるものではない。

しかしこの実感こそ、キリスト者にとって人生の宝であり真珠である。

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