[岩下壮一] 病気中、毎日くりかえすべき祈り

病気は当人にとって身も心も不安になる試練の時です。

静岡県御殿場のハンセン病療養所、神山復生病院の第六代院長でもあった、カトリック司祭、岩下壮一神父(1889-1940)は、病気中、毎日くりかえすべき祈りとして次のような祈祷文を残されています。

病中苦しんでいる方々に、何かのお役に立てればと思い、ここに紹介いたします。

『岩下神父の生涯』(中央出版社)p.287より

あゝ主イエズス・キリスト、われこの病いをおん望みにまかせて受け奉る。天の御父の手により与えられしものと信じ奉る。かくなることは聖旨なり、さればわれ従い奉る。聖旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。この病をして聖名の光栄とならしめ、わが霊の救いとならしめ給え、これがため、ここにわれはわが身を全く汝のおん望みの如く献げ、望み給う如くに、また望み給う期間、われは苦しまんとす、それはわれ汝の被造物にすぎざれば、しかしてわが罪は長き間、天に叫びおりたれば、汝の御手の中にあるわれは、いかにして不平のごときをいい得んや。されども主よ、われをとがめ給わざれ、怒り給わざれ、ただわが弱きを顧み給え、われいかに弱きかを汝は知り給う。われはちりに過ぎざるなり、わが罪に応じて裁き給うなかれ、わが悪に応じて罰し給うなかれ、汝の仁慈の豊けさに応じてわれをあわれみ給え。汝の正義は仁慈によりて和らげられ、天のみ恵みはわが病中に来たりて苦しむわれを助け給え。わが霊魂を強くし給え。われをして真の信者としての忍耐をもって一切の病の不快、苦しみ、困難にかつを得しめ給え。なおわが罪の罰としてこれらを喜びもて受けとらしめ給え。いかなる誘惑にもわれをかからしめ給うなかれ、汝はすべての敵を防ぎ給いて、わが病中にいささかたりともわれをして聖旨に背かざらしめ給え。この病いにして若し最後のものとならば、御恵みをもってわれを導き、わが魂に良薬として与え給いしこの病を恐れざるよう永遠の旅の準備をなさしめ給え。われをしてわが罪より完全に清められ、汝を信じ万事に超えて汝を愛し、汝の御死去とご苦難の功徳によりて、聖人らの列に加え給い、汝を永遠に賛美せしめ給え。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?