全世界に行って
マルコによる福音
そのとき、イエスは十一人の弟子に現れて、言われた。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
信じる者には次のようなしるしが伴う。
彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。
手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。
一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。
主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。
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ユダを除く11人の弟子たちは一つの集団として、グループとして、復活のイエスと対面する。
また復活のイエスは、11人の弟子集団を一つのかたまりとして、語りかける。
あるいはその時、復活のイエスの目には、11人と共に亡きユダの姿も映っていたかもしれない。
同じように、11人の使徒たちの心にもまた、ユダが思い出されていたかもしれない。
その時、食卓にはまだ2個空席のままで、13個の座席が用意されていたのだろうか。
それはともかくとして、
「福音」は初めから、まとまりのあるグループ、共同体に授けられたものである。
その後、弟子たちがそれぞれの宣教地域に分散して、四福音書に象徴される様々な伝承共同体へと枝別れしてゆく。
福音は初めから、全世界のすべての被造物が視野に入っている。
死者すら視野に入っている。
創造主である神以外のすべてを対象にしている。
言語の壁、文化の壁、人種の壁は、はじめから問題になっていない。
そこにつまずくのは人間の罪性だけである。
福音は、一つの福音的世界秩序の下に、全世界を再編成するという、壮大な構想を持っている。
真実と正義と平和に基づいた、一つの世界、一つの人類というイデア(理想)を持っている。
そこに近代の個人主義、個人の救いの強調はない。
人間は共に考え、語り、行動し、神は自然、超自然を通して、客観的にしるしを現す。
個人に閉じられた神秘主義は、そこにはない。
神と人との共働は、明るい日の光の下で、陽気に遂行されてゆく。
『わたしは既に世に勝っている。』(ヨハネ16:33)
『地獄の力もこれに勝てない。』(マタイ16:18)
イエス・キリストの登場によって、神人共同体の公の顕現という、新時代の幕が開けた。
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