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「居場所」

 REALITYというアプリで配信を始めて1周年、ファンも増えて勢いはよくなっていた頃。
最近は夜に配信することも増え、今日の周年記念配信も21時からの開始だった。

 アプリの性質上、夜職の人や学生が多いことを知った。
そのため21時以降の配信の方が同時視聴のリスナーは多く、最初18時までの配信だったのが今では夜配信が多いほどだ。


 20:50、スマホを開きREALITYを起動する。
カメラに映る自分を見つめ、派手な衣装で身形を作る。
1年前じゃ信じられない姿だ。
運営が作ったガチャの服、自分の努力を自分で褒めて配信を開始した。


いおりんさんが入室しました

リツさんが入室しました

いおりんさんがいいねしたよ

リツさんが名前入りウェディングタワーをあげました

いおりんさんが全力の指輪をあげました

ラスさんが入室しました

リツさんがいいねしたよ

31chさんが入室しました

ラスさんが全力の指輪をあげました

ラスさんがいいねしたよ

31chさんが名前入りウェディングタワーをあげました

31chさんがいいねしたよ


 配信開始早々、言葉よりも先に「いいね」とギフトをくれるファン達。
ファンが多くいたら良リスナーと害悪リスナーで分かれてくる。
そんな中、ここにいる「リツ」という子は害悪の部類に当たる。
好きでいてくれるのは嬉しいけど、輪を乱されるのは正直迷惑だった。

 少し苦笑いになりつつも口角を上げ、キャラを作る。
今から俺はリスナーが望む「五十嵐ミナト」になるのだ。


「みんな、どうも」


いおりん『1年記念おめでとう!』

ラス『おめでとう!』


「周年記念来てくれて」


31ch『今日は宴だぁ!』

リツ『1周年おめでとう!出会ったのが1年前じゃないのが寂しいけど、この日が新たな門出だね』


「応援してくれてありがとうな」


いおりん『初配信行きたかった…』

31ch『もっと投げるよ!』

リツ『は?あたしが1番だから』


「今日も雑談楽しもうな」


ラス『楽しい配信してるの見てるわ』

31ch『今日何してた?』





「…1年目、また五十嵐ミナトをよろしく」


 配信は若干荒れつつも最後まで滞りなく進み、多くのコメントやギフトに溢れた配信のスクリーンショットを撮って配信を終える。
今日の配信は邪魔が少なかった。
いつもだったらリツが他のリスナーを攻撃したり、飼い猫のチップが来て配信が一部猫枠になったりするけど…。


「あれ、チップ?」


 そうだ、今日はチップが来なかった。
少し気になり部屋を出る。
リビングにある餌皿は半分以上残っていた。
7月最終日、クーラーの効かない廊下は蒸し暑く、ただただチップのことが心配になる。

 何度もチップの名前を呼びながらトイレや風呂を確認する。
風呂場を出てすぐ、小さく猫の唸るような声が外から聞こえ、何も考えずに扉を開けた。


「ドッ」


 低く鈍い音がした。
気が付くと目の前はマンションの廊下で、何が起こったかを頭が整理しようとした瞬間にうなじの激痛が追い付いてくる。

 柔らかい毛むくじゃらが顔を覆い、ざらりとしたもので頬を撫でられる。
ああ、チップか。
撫でようにも体が動かない。


 あれ、なんで外で横になってるんだ?
チップもなんで一緒に?


 女の小さな笑い声とチップの唸り声を最後に、記憶は生温く気持ち悪い気温に呑まれた。







 …起きてから何時間が経過した?
今日は寒いからと毛布に包まれている。
時々叩かれる窓の外、あれは雹が降っているらしい。
居る場所は前と変わらず俺の部屋、日付や時間は分からない、知る気も失せた。

 枕元にあるストローを咥え、力無く啜る。
今日の飲み物はアサイー系、鉄分とカルシウムの摂取だろうか。
点滴で栄養を摂るのを結構前に泣きながら拒絶したら、毎日の飲み物がジュースだらけになった。
定期的に複数個の錠剤も飲まされる。

 排泄を催し、ベッドの中で静かに力む。
上手く排泄もできるようになったことに安心しつつ、潰れた便が尿に溶けたヘドロに気持ち悪さを感じる。
尻が辛い。今何を感じているかなんて俺の今の語彙力では表せないけど、不思議と涙が出てくる。

 こんな生活にもだいぶ慣れた。
日に日に痛みは減っていくし、むしろ快適になった。

 俺の部屋の扉がトントンとノックされ、一息置いて開く。
黒く短い髪の美人な女が入ってきて、俺のベッドの隣にしゃがみ込んだ。
今日も良い匂いがする、なんて植物の匂いだっけ?


リツ「あ、匂うね。今日も上手にできた?」

ミナト「……」

リツ「新しいオムツ持ってくるから待っててね」


 この女はリツ。
元俺のリスナーであり、俺の同居人。
…そして、俺を監禁してる張本人。
俺の部屋のクローゼットを開けてオムツや諸々を取り出し、再び俺の元へ来る。

 布団を捲られると下半身が露わになる。
でも俺は彼女に対して抵抗ができない。
本来あったものがないからだ。


リツ「先にオムツ変えちゃうね」

ミナト「…」


 リツは俺の下腹部を清潔に拭きながら、手際良くオムツを履かせてくれる。
オムツが履けたら脚の通す穴と付け根にテープを貼り、溢れないように対策をする。
もう俺にはできないこと。

 次に包帯やガーゼを取り出し、俺の脚の付け根に手を伸ばす。


リツ「傷口の経過も良い感じだね。幻肢痛は?」


 首を縦に振る。


リツ「喉はまだ痛い?」


 首を横に降る。


リツ「幻肢痛はこれからも気長に付き合ってくしかないか。じゃあ処置するね」


 リツはそう言い、俺の脚の包帯と腕の包帯を外し、消毒やガーゼなどの処置を始めた。
…とても短くなった俺の四肢。


 俺はチップを探しに行って意識を失い、気が付くと体を寝たまま固定され、点滴の管が首元に伸びていた。
手足が焼けるように熱くて痛くて、叫ぼうとしたのに声が出ない。
喉の奥に生暖かい液体が流れ飲み、思わず飲み込む。
口の中には何も入れられてないのに、何が入ってきたんだ?

 何が何だか分からなかったものの、ふと気付いた。ここは俺の部屋だ。
ベッドの隣にある大きめな姿見を見て、血の気が引く。


ミナト「…っ!  ……っ!」


 腕と足が明らかに短いのだ。
肩や尻に近い場所で巻かれた包帯の先に、あるはずの手足がない。

 固定されて小さくなった体で脱出しようと試みるも、鏡に映る自分が芋虫のように思えてきて吐き気を催す。
姿見の自分と目が合った状態で口から出てくる赤い吐瀉物、何が何なのか何も分からない。


 助けを呼ぼう!
声が出ないのにどうやって?

 SNSを使おう!
手足がないのに扱えない。


 絶望に打ち拉がれて動くことをやめたとき、俺の部屋の扉が開いた。
ここからの記憶は本当に曖昧だ。
声しか覚えてない。確か女の声だ。
少し高い、女の声。


『やっと会えたね、ミナト』

『あたし外科医なの。
綺麗に取ったから安心してね』

『ミナトの声は大好きだけど、
ずっと一緒に居たいから声帯も取っちゃった』

『夕陽のようなその瞳も、もう全部あたしの物』

『これからずっと一緒だよ』

『ミナト、大好き』




リツ「ミナト、処置終わったよ」


ミナト「…」


 ぼうっとしていた。
切断された四肢の断面には綺麗に新しく包帯が巻かれていて、病院の匂いがした。
リツはずっとニコニコしながら俺の頭や顔を撫で始め、それを見て俺も微笑む。

 開いた扉からチップが入ってきてリツに擦り寄る。
リツは片手でチップを撫でつつゴミを抱え、その場を立った。


リツ「じゃあご飯作ってくるね。
今日はハッシュドビーフだよ」

チップ「にゃあ」

リツ「チップもご飯作るから待っててね」


 楽しそうに部屋を出ていくリツ、その場に残る俺とチップ。
どこにも行けない俺の隣まで来てくれたチップ、俺の顔を舐める。

唯一とも言える癒しに心が和むが、チップの名前を呼んで撫でてあげることはもうできない。
舐められてる顔をチップの顎に当て、優しくグリグリと頭を突き上げた。
ゴロゴロと喉を鳴らすチップに感謝すらある。


 しばらくすると肉の焼ける匂いがし始める。
BBQスナックのような良い匂いに腹が鳴る。
チップもこの匂いに反応し、ベッドを降りて閉じた扉をカリカリと引っ掻き始めた。

 そういえばリツはチップにも安全性を考えた食事をわざわざ作ってくれている。
何度か嗅いだ匂いだから分かる、この美味しそうな匂いはチップのご飯だ。
究極的にイカれた女だとは思うが、せめて丁寧に面倒を見てくれてるあたり多少の信頼は寄せてる。
…正直頼れる人間もいないし。


 足音がこちらに近付くとチップは扉を引っ掻くのを止め、少し扉から離れてベッドの隣に座り込む。
扉が開き、リツはお盆に2つ皿を乗せて部屋に入ってきた。


リツ「2人ともご飯だよ。これはチップね」

チップ「にゃあ」

リツ「ミナト、食べよ」


 チップの前に置かれた食事は肉を焼いたもので、異様に美味そうな匂いがした。
何の肉だろう、牛肉…いや豚か?

 ベッドに腰をかけるリツ、固形物が少ないハッシュドビーフをスプーンですくい、俺の口に運んでくれる。
味に尖りもなく、まろやかで旨い。
飲み込むと唾液量が増えた口を開けて2口目の催促。
リツは笑顔でハッシュドビーフをスプーンですくった。

 ハッシュドビーフは俺の好物。
昔、母さんと2人で行った洋食屋で初めて食べて、それからたまに母さんが作ってくれるようになったんだっけ。

 リツのハッシュドビーフは洋食屋とも母さんのとも味や風味が全然違うけど、食べてるだけで昔の思い出に浸れて、今では大好きだ。


リツ「美味しい?」


 屈託のない笑顔でそう問いかけるリツに、俺は首を縦に振る。
究極的にイカれた頭をしてるのは紛れもない事実だけど、こうして献身的に愛情を注がれて、チップの食事もわざわざ調理してくれて。

 生存本能かもしれなくていい、俺はリツに惹かれていた。
悔しさなんてないのに、どうしてこんなにも涙が出るのだろう。


リツ「どうして泣くの?」

ミナト「っ!」


 俺の目から溢れ頬を伝う涙を、リツは優しく舐め取ってくる。
泣き止むまで乾いた舌で涙を舐められ続け、リツの舌が離れる頃、俺の下腹部は大きく腫れていた。

 気付いているだろうリツは変わらずハッシュドビーフを口に運んできて、皿が綺麗になるとチップの餌皿と一緒に部屋の外へ運んで行った。







 またしばらくが経ち、窓から見える桜の木が満開になった頃のこと。
いつも通りに介護される生活、寝返りが打てるようになるくらい痛みは引いた。
寝返りを打てるようになってからはリツが保湿クリームを塗ってくれることもあり、床擦れも改善している。
瘡蓋はあるらしいが、古いものしかないそうだ。

 相変わらずベッドの中でオムツに排泄をし、数分後に気付いたリツがオムツを変えてくれる。
でも今日は少し違っていつも以上に丁寧に清潔にされ、困惑しつつも膨らむ下腹部。

 さすがに恥ずかしくなって、手で押し退けようとするが腕はない。
服や下着を目の前でゆっくりと脱いでいくリツを見て、聳り立つペニスの尿道はカウパーで粘着質に濡れる。
全裸で俺の上に跨るリツは優しくペニスを持ち、ぬめりのある膣口に当てて擦り付けながら口を開いた。


リツ「もう、いいよね?」


 体がこうなって以来、自慰を含む性的行為ができなかった反動か。
刺激的かつ柔らかな快楽に涎を垂らし、声の出ない口をパクパクと動かしながらリツに強請った。


“リツがいい”


 口の動きで気付いてくれたかは分からない。
背徳的に怪しく口角を釣り上げたリツは、そのまま腰を下ろした。
柔らかな刺激と強い締め付けに鼻水が飛ぶ。

 子宮にカウパーを塗りつけるように前後に腰を揺らされ、振れない腰を振ろうと腹や背をベコベコと情けなくくねらせてしまう。
上下運動が始まると足の付け根をバタバタと動かし、吐き出したい精液が発射しないもどかしさで頭が狂いそうだった。


リツ「切れた大腿筋じゃっ…射精ッしにくい?」


 息切れ混じりの問い掛けに対し、頭を横に強く振る。


リツ「脚ピンッしてたんじゃッないのっ?」


 動きが速くなるリツの腰付きに返事を忘れ、顔ごと仰反る。

 柔らかな快楽、焼けるような刺激、鈍くなっていく感覚、湿度が高い部屋に充満した排泄物の匂い、目の前で派手に暴れる乳房、白い肌に浮いた汗。


ミナト「〜〜〜ッ! ッ!」


 涙や鼻水、涎でぐちゃぐちゃであろう顔を歪ませ、睾丸から精液が爆発する突き刺すような解放感に、眼球がグルリと上を向く。
久々の射精はドッと疲れを呼び込み、俺はそのまま気絶するように眠った。





 酷い倦怠感と共に目が覚める。
機械的な男の声が聞こえ、辺りを見回すが誰もいない。
セックスが始まる前の清潔な部屋に戻っていて、オムツも綺麗に穿かされている。

 ダイニングだろうか。
本当に微かに、男の声が聞こえる。
一瞬俺の声のようにも感じたが、少し違うような…。


『ーーあっ花束ありがとう!ーーさん入室ありがとう、いらっしゃい。ポイント回収だけでもゆっくりしていってね!それで続きなんだけどーー』


ミナト「……!?」


 この言葉達は、REALITY配信者が重ねる言葉だ。
リツは俺と声が似てる男配信者の枠を…見ている。
俺のことが好きなイカれた女だと思っていたけど、正直本気であまり考えたことがなかったこと。

 …見捨てられたら、どうなるんだ?

 ふと過る最悪な想像が、予感が、声の出ない俺の喉を詰まらせる。
息が…上手にできない。


『ーーあっ了解。
リツさん来てくれてありがとう!
お仕事頑張ってね!ー』


 切れる配信音声、廊下からこちらへと向かってくる足音。
ドアノブを手に掛けたのか、小さく「カチャ」と音が聞こえ、俺の呼吸音を聞いてか勢いよく扉が開いた。


リツ「ミナト!?」


 ベッド上にいる俺を慌てて抱きしめるリツ。
その体温がどうしようもなく胸に沁みて、なんでか涙が止まらない。

 俺をこんなにした張本人なのに、どう考えても猟奇的犯罪者なのに。
なんでこんなに心配するんだよ。意味分かんねえよ。


ミナト「ーーーッーーッーーーーッ」

リツ「ヤバい、過呼吸だ…!
ミナト、私の声に合わせて呼吸して!ミナト!」


 たかが過呼吸でなんでそんなに慌てるんだよ、医療従事者なら日常茶飯事だろ。
呼吸ができない、頭がグラグラしてきた。

 リツは俺の両頬を片手で掴み、もう片方の手は俺の頸を支える。


リツ「吸って…吐いて…吸って…吐いて…!」


 彼女の言葉に沿って呼吸を意識して、徐々に目の前は色と線を取り戻す。
目の前には必死な顔で涙を浮かべるリツがいて、俺の存在意義がまだあることを胸いっぱいに感じた。

 呼吸が完全に正常に戻ってからしばらくすると、リツは俺にキスをする。
入り込んでくる舌、マーキングするようにその舌に自分の唾液を擦り込む。

 俺がリツの物であるように、リツだって俺のものだ。
誰にも渡したくない、どこにも行かないで、お願いだから。

 口が離れると唾液の線が幾つか伸び、それはそれら汚らしい。
伸びた唾液の先で微笑むリツを見て、俺は泣いてしまう。
リツは下品な唇をクチャリと音を立てて開き、俺にこう言った。


リツ「泣かないで、ずっと一緒だから」







リツ「今日はハッシュドビーフだよ!」

リツ「グラタン、ちゃんとチーズたっぷり」

リツ「鶏の煮付け作ったんだ。どうかな?」

リツ「素が安かったから今日は豚の生姜焼き」


 幾日が過ぎ、外は蝉が消魂しく鳴いている。
蝉は雄が雌と交尾をするために鳴いているらしい。
そういえば食材が安い物になり始めて、セックスしてないな。

 最近は尻のかぶれも多くなるくらいオムツ替えの頻度も減って、風呂に入れてもらうことも歯磨きをしてもらうこともない。
リツはよく「最近忙しくて…」と言いつつ、俺の部屋を出るときはどこか楽しそうにスマホを弄っていた。


 問い詰めたい!
声が出ないのにどうやって?

 引き留めたい!
手足がなくて不可能だ。


 絶望に打ち拉がれて考えることをやめたとき、俺の部屋の扉が小さく開いた。


チップ「にゃあ」


 ベッドにチップが乗ってきて、俺の荒れた頬をザラザラな舌で何度も舐める。
最近舐めてくる場所が荒れてるところばかり、きっと心配してくれてるのだろう。
チップの心と温かさに縋るが、やっぱりリツの温もりが欲しくなる。

 扉は再び大きく開き、リツが食事を持ってきた。
ベッドを降りたチップの前に置かれた器、日に日に肉の量は減っている。


リツ「今日ね、茄子が安かったんだ。
茄子の中華炒め、ほら、お口開けて」


 リツ、俺を見てよ。
俺さ、炒めた茄子苦手なんだ。
前みたいにハッシュドビーフが食べたい。
あの時間が好きだった。

 リツ、俺を見て。

 俺を見てよ。

 お願い…。




 蝉の声が聞こえなくなってきた頃、リツは大きなリュックを持って外行きの格好をしていた。
仕事のときならもっと荷物は少ないのに、本当に唐突だった。


リツ「ミナトごめんね、
チップのご飯、もうないんだ」


 嫌な予感がして、俺はベッドから出ようともがく。
途中でバランスを崩して顔から落ちてしまい、口の中で血の味がしたが、構わずリツの方を向く。

 リツはそんな俺に手を差し伸べることはしないが、目が合うように屈んでくれた。
俺を見下ろす彼女は更に続ける。


リツ「最初、あたしにとってのミナトはただの推し配信者だった。
毎日見てて仕事を労ってくれるミナトが、徐々に愛する人になっていったの」


 そうだ、その頃だ。
衣装もどんどん揃って、お金を掛けてくれる人を大切にしないといけないと思い始めた。

 赤枠をくれる人にとっての理想の「五十嵐ミナト」でいるように心掛けるようになって、REALITYだけで最低限の生活費が賄えるようになって。


リツ「あの頃が懐かしいよね。
あたしね、必死にミナトに見てもらうために頑張ってたの。
なのに安いギフトを贈る人も大切にしてて、ただただ妬ましかったし恨めしかった」


 リツが他のリスナーに敵意を向け始めたのも、他の古参リスナーがリスに対抗するように赤枠を投げ始めてからだった気がする。
それから害悪認定をして、それでもめげずにリスは赤枠を投げて、ガチャチケを投げて。

 暴言を吐かせてたのは俺だったんだ。
輪を乱してたのは、俺のせいだった。


リツ「だから全部奪おうと思ったの。
あたしだけのミナトにしたかった。
そのためなら手段なんて…」


 辛そうな顔で話すリツに、胸が痛くなる。
そうだ、リツが外科医で給料が高くても、毎日タワーを投げるのは生活を圧迫するのに。
なんであのときの俺は気付けなかった?

 自分の価値に気付いたらもう遅かったんだ。
価値のある自分でいることこそが、「なりたい自分」そのものだった。
俺は誰かから「あなたがいないと」と縋られるような人になりたかった。

 誰かの拠り所になるような、居場所になれるような配信をしたかったんじゃない。
「俺しか居場所がない人」で周りを固めたかった。


リツ「いざミナトがあたしの物になったとき、本当に幸せだった。
どんなに介護が大変でも関係なかった。

でもね、段々と愛する人だったミナトは、あたしにとって愛犬になっていった」


 リツ、お願い。
見捨てないで、俺はリツがいないと生きていけない。
体なんかじゃない、俺の心が生きていけなくなる。


リツ「愛犬への情が他の人間に移るとき、
ミナトがね、ただの芋虫のように感じたの」


 人に見捨てられるとき、人は心が保たない。
俺は知ってる、これで3回目だ。
リツはずっと見捨てないでいてくれるって、何度も信じようとした。
声が届かない時点で無理だって、今なら分かるのに。

 手を差し伸べたリツは俺の体を起こし、ベッドにもたれ掛かれるようにしてくれた。
リュックをその場に置き、部屋を出る。
しばらくしてまた入ってくると、チップを抱えていた。


チップ「にゃあ」

リツ「チップ、ミナトのとこにいてあげてね」


 リツは俺の腹にチップを置き、リュックを背負う。
部屋を出て閉まる扉、もうチップすら出入りできない。
扉の向こうでリツは最後、俺に言葉を贈った。


リツ「チップのご飯ね、ミナトの肉だったんだ」







 良い匂いで包まれた、近所の高そうな洋食屋。
いつも店の前を通るたびに腹を空かせて、母親の手を強く握っていた。

 初めて来れた日に父親はおらず、母親と2人だった。


ミナト「お母さん、これ美味しい!」

母「これはハッシュドビーフっていうのよ」

ミナト「お父さんにも食べさせてあげたいね!」

母「…そうね、お父さん、
フランスまでパンを買いに行っちゃったからね」


 察しの悪い子供だったと思う。
既に父親から見捨てられたと当時は考えもしなかった。

 スプーンでハッシュドビーフをすくって口に入れて、味わいながらバケットをちぎる。
飲み込むと同時にバケットをハッシュドビーフにディップして、更に口に入れる。


ミナト「じゃあお父さんが
買ってきたパンと一緒にこれ食べたい!」


 そんなバカな子供だったから、知らず知らずのうちに母親を傷付けていた。
子供の笑顔ほど鋭利な刃物はない。

 しばらく経ち、家でもハッシュドビーフを作ってくれた母親は、フライパンを片手に何を考えていたのだろう。
「知れるわけがない」と知ろうともしなかったから、だから見捨てられたんだろう。


母「もうすぐ高校を卒業するんだから、この家を出なさい。引越し費用と3ヶ月分の生活費はあげるから、もうしばらくお母さんを1人にして…」


 高校を卒業して、最後に母親を見たのは引越し手続きをする最中の横顔だった。
理不尽に親に家を追い出されたと思っていた俺は母親を好きになれず、手続きは残り母親が書くものだけだと知って新居に帰った。


『もしもし、息子の五十嵐ミナトさんでお間違えないですか?』

ミナト「ーーーーーーーーーえ?」


 母親は、本当に俺を見捨ててしまったのだ。
首をロープで縛って飛び降りたらしい。


 お母さんごめんなさい。
最後まで良い子でいれなくて。


「プチプチ…クチャックチャッ」


 お父さんごめんなさい。
期待に応えられなかったよね。


「ブツッ ブツッ 」


 目の前で火花が散るような痛みが続く。
温かいものがこぼれ落ちる腹、濡れたチップの毛並み。
俺は結局、誰かの居場所になれていたのかな。


「ゴリッ」


 リツ、ごめんなさい。
先に見放したのは俺だったのに、それでも愛してくれてありがとう。

 リツ、愛してる。
遅くなってごめん。


「クチャクチャ…クチッ…にゃあ」


 チップ、最後まで一緒にいてくれてありがとう。
不甲斐ない飼い主で、本当にごめんな。


 俺が居場所になった人達に囲まれて…俺も居場所が欲しかったんだ。
見た目じゃなく、声じゃなく。
俺の心に触れていてほしかった。

 助けてなんて言わないから。

 誰か

 手を繋いで、





 もう10月が終わろうとしていて、すっかり秋。
…いや、今年も秋はなかったな。
冬と言っても過言じゃない。
こんな寒い日は家のベッドでゴロゴロしながらスマホを弄るに限る。

 去年までとは打って変わって、今年は結構お金が貯めれた気がする。
そうだよね、去年まではREALITYでめちゃくちゃ課金してたもんな。
ミナトが1周年記念配信を後に音沙汰が無くなって、それから課金することが徐々に減って、今年に入って課金自体しなくなった。


「なーんであんなにハマってたのかな〜」


 死ぬほど課金したのに顔を見せなくなったミナトのフォローを外す。
Twitterはブロック。
監視されてたら嫌だしね。

 恩を返さないのが悪いんだ。
…って言っても課金してたのは自分なんだけどね。
これを機に「31ch」じゃなくて現実の自分に戻らないとなぁ。


「…外、騒がしいな」


 カーテンを開けて窓の外を見ると、向かいのアパートに警察がゾロゾロと入って行っている。
辺りには人集り、どういうこと?
部屋から出て母の元へ行く。


「お母さん〜! あれなんかあったの?」

「ああ、あれ?
異臭騒ぎらしいわよ、怖いわねぇ」

「近くでそんな物騒な事件起きないでよ…」


 …まあ、私には関係ないけど。

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