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デザイン=理と美の統合

今日、「デザイン」は最も多様な定義、用法を持つ概念の1つです。そして「デザイン思考」は最もふんわりとした捉え方をされている思考法の一つです。デザインは問題解決である、いや問題提起だ、という議論がされる横で絵としての表現がデザインと呼ばれ、ある巨匠は機能について、またある巨匠はシンプルであることについて、それ以外の巨匠はコミニュケーションについて言及します。いや、細部について語る巨匠や長く残ることについて語る巨匠もいましたね。

なぜデザインは、そんなにも人々の頭をプリンのようにしてしまうのでしょうか。ちなみにデザイナーは全員、この非常に捉えづらい概念を好んで扱う自傷癖持ちか、あるいはその扱いづらさに気づかない馬鹿(こちらのほうがマシ)かのどちらかです。

わたしはなぜデザインはプリンなのか?という疑問から、デザインという言葉の定義として最も正確なひとつの答えにたどり着きました。それが「理と美の統合」です。これだけで全てを理解し宇宙の真理に至った方、おめでとうございます。一方ピンとこなかった方、無理もありません。理も美もわたしが勝手に作り出した独自の概念です。読者それぞれの生物的種族の知的レベルに合わせて順に説明するので、あなたの該当する説明をお読みください。

まずニホンザルの読者には、理と美ってのは理論と直感のことだよ。とご説明しましょう。終わりです。ウキー!

次に人間の読者の方(多くがそうだと思います)。理と美は、ある種の二元論を包括する概念です。世の中の二項対立の約38%は理と美に集約できます。例えば左項を理で右項を美とすると、科学と芸術、理論と直感、定量と定性、経済と文化、協調と独善、客観と主観、記号と表象、利益と理念。これらの天秤は理と美という会社が企画開発しています。

そして理には「自然法則に支配された未来を予測的に扱う」、美には「複雑系を統合的に判断して扱う」という特徴があり、人間はこの2つの方法を状況に合わせて無意識に使い分けながら生活しています。待ち合わせのため何時に家をでるか決めるときには理を、レストランで何を食べたいか決めるときには美を用います。

前者偏重の人はロジックモンスター、後者偏重の人はロジモンからバカと呼ばれます。しかしロジモンが非言語という言語によって非言語を扱いながら自らの限界に気づき始めた頃、ロジモンとバカの仲を取り持つ救世主、それこそが「デザイン」なのです!それまで対立していた理と美を統合するときの合言葉として、デザインという言葉が多用される時代が訪れました。めでたしめでたし。

最初の問いに戻ると、なぜデザインの説明が複雑になってしまうのかでしたね。要は本来多くの人が理か美に偏ってしまうため、その2つを統合するという発想自体が理解しづらく、また対岸同士で風景が異なるからです。二項対立を超越するための概念であるがゆえ、シンプルに捉える事ができないのです。

ただ、ここで1つ疑問が生じます。なぜその統合を担うのがデザインなのか。一つの答えとしては伝統的な行為としてのデザインが理と美の統合を伴うからでしょう。コンテンツや素材やシステムなどの特性を理的に扱いながら形や色などわかりやすい美に落とし込むという反復横跳びが、理と美の統合の象徴としてまさに「デザイン的」なのでした。しかし本来人間はみな理も美も持ち合わせているはずです。違和感を検証したら成果が出たり、長年の経験による勘や、異常な執着による差別化など、優れた知的活動はすべて理と美の両方に基づいています。つまり理と美の統合こそが人間の知性の正体で、それは本来デザインという狭い言葉に収められるような概念ではないのでは、と思わずにはいられないのです。

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