人間が消耗するとき、そこには必ず他人がいる

小学生の頃サッカーをやっていたが、中学の部活の候補にサッカー部は入らなかった。理由は嫌いな人がいるから。もしその人間とサッカーやってたら、多分サッカー嫌いになってたと思う。

昔から一度嫌いになるとその嫌いな人間を我慢できなくなる。流せばいいじゃんって言われるけど、流せないんですよ。流すってのは感情をオフにすること。常時感情をオフにしておくって死んでいると同じ。
好きだからサッカーをやるのに、毎日嫌いな奴と接しなければいけない。そんな地獄はない。

まだあの時代は嫌いなモノを我慢してやり抜くことを美徳とする時代だったが、かなりドライな決断をした。
辞められる程度だからそんなにサッカーを好きじゃなかったと考えることもできるが、自分の人生を守るために最善の選択をしたと今は思っている。

嫌な奴を変えることはできない。決して変わることはない。
だからこちらが変わるしかない。
職場に嫌な奴がいるなら職場を変えるしかない。
それは決して逃げるということではない。精神をポジティブな状態に保つためには必要なことだと僕は思います。

ほぼ1日1人で暮らしていると本当にストレスがない。
ストレスは他人が運んでくるのだなと思い知る。

インターネット内でも価値観が明らかに違う人々が集うコミュニティの書き込みを見ているだけで消耗する。それは仕方のないこと。見ないが一番。

嫌いなものに触れない。
綺麗なもの、美しいものに触れる。

嫌いなものに触れる数よりも、好きなものに触れる数を増やす。
ただそれだけで人生は変わってくるし、充実してくる。
意外にシンプルに道は開けます。

ありがとうございます。有意義なことに使います。