偽善という悪魔のワード

2011年の東日本大震災から8年が経過しました。本当に月日の経つのは早い。特にこの5年はあっという間だった気がします。

ガソリンスタンドへの大渋滞
明かりの消えた真っ暗なコンビニ
計画停電
棚に何も置いていない食料品コーナー
放射能の不安

色々と思い起こすことはありますが、僕個人的には善だ、偽善だの醜い言い争いが一番嫌でしたね。

誰かの行動を否定したい。だけど自分には何もない。
「あれは偽善だよ」
一瞬にして勝者になれる便利な言葉です。

何かを行うことで誰かが幸せになるのならそれは間違いなく善ですよ。
そこに宣伝や売名が含まれていても何も問題はない。
人を喜ばせたい、助けてあげたい。その純粋な気持ちの延長線上に利益が発生することに怒る人々。
なぜ完全な純潔であることを誰かに求めるのでしょうか。

金のある者は金を出す
知恵のある者は知恵を出す
労力のある者は労力を出す

誰が言った言葉か忘れましたが、これが真実だと思います。

文句のある者が、文句を言う
これが一番厄介なことで人々のやる気を容赦なくへし折る。精神的ダメージは計り知れないのです。これこそが二次災害の筆頭ではないでしょうか。

やらない善よりやる偽善の方がよっぽど美しい。
やる人は黙々と何かをやっている。
何もしない人は文句ばかり言っている。
その構図は8年経っても何も変わっていません。

誰かの行為が偽善に見えたとき、それは自分の心が汚れてきているサインです。
自分のすべきこと、できることを黙々と続けていれば、魂は浄化され人のことはあまり気にならなくなります。すべきことをやっていないから、偽善という言葉が生まれてくるのです。

とりあえずは自分の辞書から偽善という言葉を封印した方が良さそうです。

ありがとうございます。有意義なことに使います。