見出し画像

分業でアート作品を作るという考え方

アート作品を作る上で、一人で制作活動をしている方が多いと思います。
私の妻は油絵を制作していますが、制作はほとんど一人で 行っています。

前回の記事で集客や販売を分業するという考え方を紹介しました。

今回の記事では、制作を分業するという考え方について紹介します。

忙しい人向けのまとめ

美術の歴史を振り返ってみても、工房として集団で作品を作ってきた時代が存在している。
オランダのレンブラントは工房で制作を受注して、弟子が作品を作ることもあった。工房が美大の役割も果たしていたので、弟子はお金を払って工房に通っていた。
レオナルドダヴィンチも同様に工房で作品を作った。
日本でも浮世絵の制作は版元、絵師、彫師、摺師が協力し合って出版した。
村上隆は工房を現代に復活させ、カイカイキキという工房を運営している。カタールの王族から依頼を受けて作った作品では200人のアシスタントを動員した。

レンブラントの工房

レンブラントはオランダで活躍しました。
東インド会社を作ったオランダは、東洋とヨーロッパの交易により、経済が発達していました。商売で利益を得た富裕層が、画家に自画像を作らせるようになります。

この当時は写真なんて存在しませんので、
自信の姿を残す。
自画像を館に飾り、訪問客に対して自身の権威を示す。
そのために大きな自画像を作らせる。

自画像を作らせることが富裕層にとってステータスになったわけです。
レンブラントはその時流にうまく乗ったので、相当な数の注文を受けることになりました。

一人で制作できる数には限度があります。
注文が増えれば増えるほど、手が回るはずがありません。

そのため、弟子とともに工房を設立し、工房として自画像の制作を受注することになります。レンブラントの工房に関する調査・研究が1980年代に実施されており、レンブラント作とされた280点が調べられました。
その結果、レンブラントの真作と認められたのは146点。
残りの作品は弟子によって制作された可能性を示唆しています。

およそ半数が真作ではなかったということです。
レンブラントの工房で、レンブラントの技法を学んだ弟子が、レンブラントの指示のもと制作する。

絵画の見た目も、用いられた技法も変わったわけではありません。
唯一、変わったのは、レンブラント本人ではなく、弟子が描いたであろうという可能性。
たったそれだけで、絵画の値打ちは下がりました。
絵画の所有者はショックを受けたことでしょう。

しかし、レンブラントが生きていた時代に、自画像の作成を依頼した主は、本人が描いたのか、弟子が描いたのか知るはずもありません。
おそらくは、レンブラント本人が描いたと思っていたはずです。

だからこそ、レンブラントの作品と思われた点数が実情よりも多かった。
本人が制作に関わっていながら、弟子が実務を実行した。
この点でオリジナル性の評価が下がる。

こういう現象がアート作品では起こりますし、
逆に、弟子の作品と思われていたものが真作だったというケースもあります。

歴史的価値があるアート作品においては、
技法や表現よりも、誰が描いたかの方が値段を決める要素としては強いことが分かります。

この頃のオランダの工房は、
美大としても役割も持っていたので、弟子は授業料を払っていました。
今の美大の相場よりも高額です。

それでも一流の画家の技法を学び、制作するという実務を学べます。
修行を積んで、結果を出した人が独立して工房を設立する。
そこではまた、制作を受注し弟子とともに制作をする。
そういう循環を起こす仕組みがありました。

レオナルドダヴィンチの工房

ダヴィンチは数多くの弟子を抱え、受注したアート作品を工房で制作していました。弟子はもちろんダヴィンチの技法を習得しています。
サルバトール・ムンディという作品。

2017年10月にアメリカのクリスティーズでオークションにかけられました。
落札金額は510億円です。
今後はダヴィンチの作品がオークションに現れることはないかもしれないため、クリスティーズは出品に相当の力を入れました。

サルバトール・ムンディのためだけに170ページの冊子を用意し、作品の解説や鑑定を事細かに記しています。

実は、この作品は長い間、弟子が描いたと考えられていました。
ダヴィンチの作品と認められたのは21世紀に入ってからです。

2005年にこの作品がオークションに出品されたときは、1万ドルほどで落札されました。1ドル=100円で換算すると100万円ほどの金額です。
この時は、大半の人が贋作だろうと思っていたのですが、落札したアートディーラーは本物だと信じて修復と鑑定作業を勧めました。

その結果、真作だと分かり2017年に510億円で落札された分けです。

12年の間に価値が5万倍にまで膨れ上がる。

ダヴィンチも工房を所有していたので、
工房として受注し、ダヴィンチの技法を用い、
本人が描くこともあれば、弟子が描くこともありました。

ダヴィンチは自身が独立する以前は、
ヴェロッキオの工房に所属して働いていました。
ヴェロッキオの元で、絵の具の使い方、筆の使い方、筆の運び方、遠近法、陰影法を学び、習得した技法をベースに独立したのです。

ダヴィンチと同じ時期に、ヴィーナスの誕生で有名なボッティチェリも同じ工房に所属しています。

一人前の画家として、聖ルカ信用組合に登録された後も、ダヴィンチはしばらくの間は独立しませんでした。アトリエを借りるのにお金がかかりますし、絵の具を買うにしても現代より高額だったと思われます。

受注した作品を作っても、代金を踏み倒されたり、満額支払われずにもめることもありました。
独立する際に、大きなリスクを抱える必要があったので、受注が見込めるまで、キャッシュフローが見込めるまでは待つ必要がありました。
多くの受注を見込むためにも、工房化して人を雇い、制作できる能力を拡張する。
ここまで準備をする必要がありました。

浮世絵の工房

歌川広重や葛飾北斎の活躍で浮世絵は有名になりました。江戸時代に作られています。
浮世絵は出版社が発行する雑誌の役割を持っていました。
浮世絵は2種類に大別されます。

肉筆画と版画です。

肉筆画は普通の絵画と同じで筆を使って描きます。
版画は木版を使って印刷しています。

よく見かける浮世絵は木版画で制作されています。
同じ下絵の木版画を何枚も作ります。
絵の具の色ごとに版を使い分け、1枚の紙に重ねます。
多色刷りです。

浮世絵の制作は分業で行われています。
版元、絵師、彫師、摺師それぞれの専門家による合作です。

版元は現代の出版社です。
時代のニーズに合わせた作品を商品化していきます。
富岳三十六景シリーズは、富士山信仰の隆盛に乗じて、旅行需要を掘り起こすために出版されました。

版元は絵師、彫師、摺師に制作を依頼します。

絵師は下絵の輪郭線を描きます。
墨で下絵を描き、場所ごとに塗る色を指定します。

彫師は、絵師の下絵に沿って木版を掘っていきます。色ごとに版を使い分けるので何枚も作ります。浮世絵は一度に数百枚も刷るので、木版が擦り切れます。増版するために、再度、木版を作ることもあったようです。

摺師は実際に紙に色を擦ります。絵師が塗る色を指定しますが、その色で発色させるための絵の具の選定は摺師が行います。

分業制で浮世絵を制作したことにより、大量生産が可能になりました。
単価を抑えて制作した浮世絵が、陶磁器を輸出するときの詰め物としてヨーロッパに渡り、価値を再発見された。
大量生産していたために、作品の生存確率が上がり、現代でも保存されている。

村上隆の工房

日本で最も影響力のある作家の一人です。
カイカイキキという工房で作品を作っています。

カタール王室の依頼で、全幅100メートルの大作絵画、
五百羅漢図
を作ったのはご存じの方も多いと思います。

この時、村上隆本人が描いたのは原画のみ。
美大生200人ほどをアシスタントとして雇い、実際の描画を担当したようです。作品の制作において、村上隆は監修者の役割を務めています。
映画監督のようなものです。

200人のアシスタントが下絵に従って作業をする。

私は知らない 私は知ってる

という作品では、アシスタントへの指示書を書籍で公開しており、
制作状況を見ながら、都度、事細かに指示していることが垣間見えます。

村上隆は美術の歴史をかなり研究しています。おそらく、その研究の中で、過去に成功を収めた作家たちが工房で仕事をしていたことも知っていたはずです。

奈良美智の書籍「小さな星通信」では、1998年の時点で村上隆が工房システムを採用しながら制作していたことが伺えます。この年、奈良美智と村上隆はロサンゼルスにあるカリフォルニア大学、通称UCLAで講義をしているのですが、この時に共同生活を送っています。

アメリカで講義をしながら、
日本の制作スタッフと電話やFAXでやりとりする。
進捗確認をしながら指示を出しているわけです。

1998年なので、今のように通信が発達しているわけではありません。
今では化石のように扱われるWindows98がおそらく最新だったことでしょう。インターネットを使っていたら変人、機械オタクだと思われるような時代です。ADSLや光回線もまともになかったはずです。
そんなオフラインが全盛期だった時代から既にリモートで指示を出し、制作できる環境を構築していた。純粋にすごい事だと思います。

一人で制作するのがいいのか、チームで制作するのがいいのか

先人たちが工房を使って、人を集めてどのように制作してきたのかについてみてきました。

一人でやるのか、チームでやるのか。

作家の嗜好や方針によるところもありますが、
段階によって分けて考えるのがいいんじゃないかと思います。

そもそも、なぜ一人で作っているのかという所から考えをスタートします。

美大の授業や卒業制作は、
一人で制作するパターンが多いと思います。
それは、個人としてカリキュラムを修了することが望まれているからです。
だから当然、自身で完結させるという考え方になります。

では、卒業後はどうなのか。
同じように一人で制作を続ける方が多い事でしょう。
その理由は学生時代とは少し変わってきます。

卒業後は自身で制作しないといけない。という縛りは特にありません。
別の理由で一人で制作することになります。

他人を雇えるほどの経済規模がない。
人を雇わないと制作が回らないのほど受注量がない。
受注を受けて制作しているわけではないので、人を雇わないでも回せるペースで制作をしている。
制作が完了した段階で個展を企画するので納期が存在しない。

共通するのは、大した仕事量がないということです。
最初は絶対にここからスタートします。
どんなに有名な人でもスタートしたラインは同じです。

ここから大事なのは、どのような戦略と戦術を設定するかです。

制作ペースに焦点を当てるのか、
個展の開催ペースにするのか、
固定客の数にするのか、
アート作品の購入率にするのか、
公募展への出展数にするのか。

どのくらいの期間をかけて、
どのくらいの活動範囲まで拡張するのか。
どこまでだったら一人でできそうか。

どの段階で人を雇わないと回らなくなるだろうか。

考えて、計画を立てることが一番大事です。
そして実行する。

私の記事は、マーケティングの考え方を、
アートに落とし込んだ場合にどうなるか。
という風に組み立ててあります。

マーケティングは学ぶだけでは身に付きません。
自分で考えて、計画して、結果を振り返る。
これを繰り返して、経験を積むという過程が必要です。

成功する確率を上げることはできませんが、
失敗する確率を下げることはできます。

アート作品を売って生計を立てるという事は、
プロとして活動すると宣言するとの同義です。

そこに初心者用のステージというものは存在しません。
過去の偉人たちや、現在活躍している先人たちと同じ土俵になって競わないといけません。新規に参入してくる人も続々と現れます。
美大の卒業生が日本だけで毎年一万人。

世の中にどのようにして芽吹くか。
失敗の確率を下げるツールとして、
SNSとホームページの活用を挙げています。

興味があったら連絡をください。
私たちの現状は、これまで私たち自身の選択から成り立っています。
行動するかどうかはあなた自身の選択で決まります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?