「未完のタピスリ」の歌詞について


「未完のタピスリ」の歌詞(作詞)について。
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※歌詞の解説を好まない方はご注意ください
 もちろん、作詞した本人がいうとしてもそれが正解というわけではなく、
 歌詞の中の物語や解釈がはふれてくださった方の数だけあると思っています。

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美しく幻想的な音・声と、美しく可憐な絵に見惚れること必至のこの楽曲ですが
今回cataclecoより歌詞についてちょっとしたnoteを、ほろほろと。

ちなみにこの曲の作詞は「リアルタイム作詞」となっておりまして、曲先なのですが、絵と歌詞を同時並行でディスコにて行うという方法で行っていました。
普段は、iPhoneにうちこみいったんフル作詞分完成してから共有する という方法をとっているのですが
今回はディスコのチャンネルに直接うちこんでは編集して、という感じで
イラストレーターさんがリアルタイムでパートごとの歌詞を未完成の状態から確認・絵の構想できるようにしていました。
さて、タイトル通り「歌詞につきまして」。
(繰り返しになりますが、
 あくまで見え方のひとつであり
 作詞した側がいうから正解というわけではありません。
 解釈は触れてくださった方の数だけあると思っていますし、
 それが私自身の願いと本望でもあります)

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この歌詞はすべて通して
「物語を紡ぐ」「紡いだ物語がタペストリー(タピスリ)になる」
ということが、軸になっています。
(タイトルにもある通り、その物語は完成していません。未完です。
 そのわけは後述)

羽ペンを持つ可憐な少女、歌でも絵でも彼女が語り手であり糸車を回し紡ぐ。
紡ぐのは「物語」。

が、わかりやすく見えている歌詞の世界かなと思っています。

パートごとに追ってみてみます。

AからBのラスト付近まで
は俯瞰して世界の始まりのような感じです。

そして出てくる一つ目のキーワード、
Bのラスト「吹きこむ記憶の糸」
そう、ここで「記憶」(の糸)を吹きこまれているのです。
さて、誰が?
可憐なこの少々です。
この少女が実はここで「記憶」(の糸)を吹きこまれているのです。
つまり、ここで初めて彼女は語り手という「役割」で存在し始めるのです。

その後のサビ1では語り手としての役割を担った彼女が途切れない物語と色彩を綴ります。

それからDでの「きっくるくる」〜のところ、シルエットになった彼女が糸車とともに現れますね。

最初のオノマトペだけのかたまりでは
彼女が紡いでいるのでしょう。

廻り始めた糸車、「おしまいしらず」。
この「おしまいしらず」は誰に向かっていっている言葉なのでしょうね?
永遠に紡ぎ続けるという意味で彼女へ向けて?
永遠に完成しないという意味で「おしまいしらず」?
はたまた彼女も糸車も外から見ている…だれか?

「淡々と」「織りあげてく」「誰かの声を編みこむ」

これがもう一つのキーワード箇所でありターニングポイントとなる箇所です。

「誰かの声を編みこむ」とされた瞬間に語り手(物語の紡ぎ手)は彼女から別のものへ移っているのです。
彼女自身は「誰か」に含まれており、
彼女自身も糸車に編み込まれていくのです。

ではこの糸車は誰の手によって動かされているのか?
ひとつの考えでは、
「糸車自身が意思を持って世界を作り始めた」のかもしれない、
またもうひとつの考えとしては、
「そもそもこの「未完のタピスリ」での物語を紡いでいるのは「世界そのもの」である」というもの。

その後にくる静かなサビでは「おぼろげに」「どこかへとつづく」。
「つむぐ」のは物語
「つぐむ」のは本来言葉を発していたであろう世界を構成していた人物たち。
それらがすべて「だだしく」世界の在り方となる。

紡ぎ手(に見えていた人間)がロを紡ぎ(=絵の一部になり)正しく世界に紡がれている、そんなイメージです。

イラストと相まって、少女が「生きている少女」から
「絵(タペストリー)に描かれた少女」であることが露見します。

そして最後のサビの最後、
「いつまでもつづる、はるか時を奏でて」。
そう、悠久の時間を永遠に織り続けられるタペストリー。

世界というものの物語。
紡いでいた少女の姿さえも
世界の作る物語の中のひとつのパーツである。

だからこれは「未完のタピスリ」なのです。

そんな視点をもってもう一度視聴してみたら
何か違う世界が、みえたりするような✒️

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