トランキーロの花筐の歌詞について

※歌詞の解説を好まない方はご注意ください
 もちろん、作詞した本人がいうとしてもそれが正解というわけではなく、
 歌詞の中の物語や解釈がはふれてくださった方の数だけあると思っています。

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先日ボカデュオといぅ楽曲投稿企画に作詞にて参加しました。
企画詳細は省きますが、チームを組んで楽曲を投稿するイベントです。
(歌は合成音声ではなく歌い手さんが歌います)
参加した歌詞についてちょっと書いてみようかなと思いnoteしてみました。
作詞した歌詞について言及するのは初めてです。
望まれているかどうかわからないのであまりやってきませんでした。
※もちろん、作詞した本人がいうとしてもそれが正解というわけではなく、
 歌詞の中の物語や解釈がはふれてくださった方の数だけあると思っています。

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チーム Tranguillo(トランキーロ)
「トランキーロの花蜜」
楽曲はこちら!
ニコニコ動画
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42404219

YouTube
https://youtu.be/brsCRjsyU1g

さて、曲先で作詞したこの歌詞なのですが
一見すると「綺麗な」「優しい」「穏やかな」愛の歌のようなのですが
実はとても「ひとりよがりで」「盲目で」「一方的な」愛の歌なのです。
相手の気持ちを考えることなく、ただ自分の想いを贈り続ける歌なのです。
素敵なイラストでは可憐な少女で擬人化されていますが、チーム内で話し合っているテーマは「迦陵頻伽」です。
(もちろんこの素敵な少女の絵は私の心にもクリーンヒットで大好きなのです!)
迦陵頻伽、とってもきれいな歌声の鳥さんですね。(ざっくり)
そんなきれいな歌声の鳥さん、
ヒトではないので「相手の気持ちを思い図る」ことは得意としません。
この歌詞の迦陵頻伽さんは、盲目に自分の想いをただ歌っています。そしてただ贈るのです。贈りつけているのです。
相手が受け取るかどうかは問題ではありません、「自分の想いである愛の歌を歌い続ける」ことが彼女のすべてなのです。
彼女をとらえる鳥かごや枷さえも、それは「愛しい貴方」からのものであるからそれは幸福の象徴なのです。
「貴方」は自分を自由にしない=「貴方」の傍にいられ続けるという変換です。
「貴方」が自分をとらえることが幸せなんですね。
だから枷は甘いのです。
自分をとらえるのも散らせるのも「貴方」。

自分の命のすべてを「貴方」に捧げる(「捧げたい」という希望ではなく「捧げる」のです)、
そしてその歌のなにもかもが
ただの壊れた羅列になっても
命が尽きたとしても、
残響となったとしても
歌い続ける、という意思なのです。
そんな「ひとりよがりで」「盲目で」「一方的な」愛を贈り続ける迦陵頻伽さんですが
アウトロの次、動画にしてもとても静かに
一言だけこぼす言葉があります
「ねえ 愛して」
今まで相手には何も望まずただ一方的に自分の想いを歌い続けていた迦陵頻伽さんが
静寂の中でひとつだけ望むようになるのです。
ここでだけ相手からの返しをほしがるのです。

ちなみに後半にいくにつれて、
迷いなく歌い続ける、一方的に愛を贈りつけるだけだった迦陵頻伽さんの心境に少し変化がでてきていたりします。
「さみしい」という、どこか見返りを求めるような言葉が入ったりなど。

そんな歌詞でした。

慈愛に満ちた愛ではなく、わりと自分勝手でひとりよがりな愛であることを振り返って
もう一度聴いてみると少し違った景色が見えてくるかもしれません。

また、歌い手さんののりこし精算機No.2様の声がまた、高く透明感ある声なんですが、高くて透きとおる綺麗さだけじゃなく、
どこかあどけなさもあり、どこか甘さも含み、
それがまたこの「迦陵頻伽」という、ヒトではない存在感を際立たせていると感じています。
そんな素敵なチームの作品「トランキーロの花徴」(はながたみ)はこちら
ニコニコ動画
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42404219

YouTube
https://youtu.be/brsCRjsyU1g

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