そろそろ参議院選挙ですね

ここでは特別にどの政党を応援するということはないですが、Twitter上で何やらモヤモヤすることがあったので、それを述べていきます。

どうも、蜥蜴屋しげでございます。

Twitter上でこんなツイートがありました。

「創作は実在の誰をも傷つけることなく表現できる壮大な想像の場です。人間の営みをリアルに描こうとすれば、そこに性表現が入ることは当然ありますが、それは忌むべきものではないはずです。自由な空間だからこそ、私たちを楽しませてくれる色とりどりの物語が生まれるのだと思っています。」 / Twitter

これに対して見かけた引用リツイートがこちら

 「『國民の創生』などの例を出すまでもなく、創作は人を傷つけ得るし、事件や差別の原因となることがあるのは歴史的にも明らか。創作者も社会の一員であり、自分の表現に責任を持たなければならないのが原則。」 / Twitter

まぁ元ツイートに賛同するものもいれば、皮肉を込めたり直球で批判している引用が体感2:8くらいでありました。
批判という名の人格否定等している方は、じゃああんたのそれは傷つける行為とちゃうんかい?というツッコミは横に置いておいて、「創作は人を傷つけるのか」について個人的に思っていることを書いていきます。

1.『国民の創生』について調べてみた
 失礼ながら、当作品について全く知らず何のこっちゃと思ってしまいました。

 まぁ調べてみると、アメリカで上映されていた映画で、1915年の作品らしいですね。

 内容は深くは掘り下げるほど知識はないのですが、黒人がどうのこうのといった作品。当時は上映反対運動で大変な騒ぎだったらしく、中には警察を映画館に動員してまで上映したということもあったそう。

 あえて言葉を選ばずに述べますと「そんな当時のこと知ってる人いてるかどうかも分からんもの引っ張りだされても・・・」

 それこそ昔と今じゃあ映画の立場も違うし、人々の身近さや捉え方も100年以上前とは当然違う。

 さらに日本でも、とある小説で同和地区のどうのこうのを描いた結果、差別だと槍玉に挙げられた例もあります。こちらは完全に槍玉に挙げることで政治的な利用がされてしまっています。

2.創作は創作

 そもそも、創作はあくまで創作であるべきで、面白いor面白くないで評価すべきである。題材のみを理由に傷ついたどうだと判断するものではないと考えています。創作の中の登場人物がこう言っているのだから作者もこう思っているに違いないってのは丸っきり見当はずれで、その理論が通用するなら世界征服が目的の悪役が出てくるなら、作者は世界征服を目論んでいるに違いないと言っているようなもの。んなアホな。

 まず、創作なので選ぶ自由がありますし。題材が嫌なら見なければ良いのだし、面白くないなら見ないという権利もあります。

 そしてこういう同和問題や差別があったことの史実に基づく創作を禁止するということは、差別があったという事実に蓋をするのか。とも思います。

 エロ・グロの年齢制限等は当然必要としても、発信する側の上の部分で制限してはいけないのではないか。

 例えばで言いますと、親子が居たとして親は当然子供には教育に良いアニメ・漫画・作品を与えますよね。それを国レベルで制限をかけるっちゅう話です。国民はみんな子供ですか?っちゅう話ですわ。

 さらに言うならば、国って機械じゃないので制限をかけるのは人です。個人ではないでしょうが、せいぜい数十人が国の表現規制を決めるって怖くないですか?たったそれだけの数の”主観”が表現を規制するんですよ?

3.インターネットは?

 ところかわって、インターネットの話をしましょう。

 私がインターネットに触れたのは今から20年ちょっと前の話。

 右も左も分からないまま、えっちなサイトにもアクセスしたりもしました。ぱっと開くと「会員登録ありがとうございますw会費〇万円w」ってのにも引っかかりましたし、何故かPC起動する毎にえっちな広告がでるようになったりもしました。

 私は体験していませんが、今でも出会い系サイトでは詐欺が横行していますし、裏サイト等を通して違法の取引や、いじめがあるようですね。

 それでも、これだけ有害な事象があるにも関わらずインターネットやめようぜって国は言わないのですよ。利便性が当然ありますが、これだけの不特定多数の人々が実害にあっていても止めない。

4.結局どうするの?

 これだけ表現の自由を制限することがおかしなことかと述べたところで、過去に多くの人が傷ついたことは変わりません。

 今の若者に限らず、特に興味を持っていなければ過去にどれだけの人が差別に会っているか分からないくらいに色々な情報が創作が横行しています。

 その中で、たった一つの国内だけで表現の自由について制限しても意味がないのは自明の理だと思います。

 じゃあどうするの?教育ですよ。

 あくまで、創作は創作。人生を豊かにするもの。嫌なら見ない。

 表現の自由があるということは、差別的な作品を批判する自由もあるということです。

 インターネットでもそう。被害に合わないように、情報源を複数持つことや信頼できるサイト以外は信じない等のネットリテラシーが産まれています。

 それでいいじゃん。なぜ表現の自由に言及するのか。

 思うに、これに賛同している人は「私は関係ない」と思っているからと勝手に予想しています。関係ありますよ。表現の制限はあなた自身の制限です。

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