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アメリカ大学のルッキズム 【雑記】

最近、髭を伸ばしてる。

とりあえずは顎下を伸ばそうと思っている。アメリカに来て思ったのは見た目をあまり気にしている人がいないということ。男性で化粧をしたり整形する人はとても少ない。ルッキズムというものをあまり感じないのだ。女性に関しては自分の表現を自由に行なっているように感じる。その表現方法はセクシャルなことも多く最初はゲゲッと思ったけどもう慣れた。

他人と違う姿形でいても別に変ではない。髪の毛を赤や青に染めても何も問題ない。タトゥーを彫っている人も少なくない。日本とまた大きく違うのが毛の処理。高校の部活のOB戦で大学生の友達に会った時、脱毛するかしないか真剣で悩んでいたのだけど、半ズボンのしたから立派なすね毛をボウボウと世界に公開している人たちを見ると、脱毛がなんだか滑稽に感じてくる。

僕も自分のスタイルを探したいと思い髪と髭を伸ばしていることに抵抗を感じていないことに驚いている。自分の容姿を、将来的には前衛的なモデルのようにキモさとカッコよさの境界線を綱渡りしているようなものにしたい、と感じているのは危ういのだろうか。

日本に帰ると浮いてしまうんだろなあ、と感じつつ、別にそれはそれでいいのだとも思う。表現は楽しい。


東京からシアトルに来て急に話題がなくなった。日本語だとずっと喋ってられるのに英語ではまだ何かしら熱弁することができない。

僕は思考回路が英語に切り替わっていないのだと感じている。日本にいた時、普段は日本語で思考をしていたため、話題の中心であった普段からの考え事が日本語で行われていた。なのでそれを英語へ移行しなければいけないのだと思う。確かに、英語だと突飛考えが思い浮かびずらいし、また元々持っていた考えを説明する言葉を十分英語で持っていない。以前書いていたnoteに比べてここに書いていることは内容が浅いこともここに起因しているのだろうか。あんまりインテリっぽいことを書かないようにしようと意識しているのも原因かもしれない。

まだ難しいところだが、そのうちなれるだろう。


懺悔というか自分に対する疑惑というかなんだけど、自分至上主義に陥っているかもしれない。

今日アメリカ人がスッポンのこと亀って呼んでいて下に見てしまった自分がいた。

それだけなんですけど

あと自分が作る味噌汁が尊すぎて、他人の料理を下に見てしまう。

要約すると好きな食べ物があっていいですねって話なんだけどね。

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