見出し画像

エッセイ|大好きな町、三軒茶屋。

三軒茶屋は、私が暮らした中でも「一番好き」と言える町だ。
東京都二十三区の西南部。人情味あふれる昔ながらの商店街が点在する一方、新しい店や文化もどんどん取りこんで、新旧が雑然といりまじる。
運転手泣かせの路地迷宮としても知られ、散歩好きにはたまらない町でもある。
そんな三軒茶屋を含めた世田谷の町々で、二十代後半から三十代にかけて、十年強をすごした。

最初に暮らしたのは、太子堂という町だ。
三軒茶屋駅から徒歩五分。小さなアパートの一階に借りたのは、五畳半程度の部屋だった。
窓のすぐ外は、車の通れない狭い路地だ。防犯上の心配はあったが、朝目覚めると「コツコツ」と通勤のひとたちの靴音が聞こえてくる。その温かみのある音が好きだった。
近くを通る首都高からは車の行き来する音が絶えることはなく、かすかに聞こえるその音は潮騒のようにも聞こえた。夜ベッドで目を閉じ、海辺に横たわる自分を想像しながら眠りについたこともある。
静かな田舎暮らしも好きだが、人の活動する音とともにある都会の暮らしも好きだった。ひとりではない、と感じられた。

私の人生が楽しくなりだしたのは、二十代後半、ちょうど三軒茶屋に住みはじめたころからだった。
三軒茶屋での暮らしが人生を変えてくれた、というと大げさだが、変わるきっかけになったことは間違いない。
私には昔から「あこがれの自分像」があった。それは「商店街を軽やかに歩く自分」だ。
トイレットペーパーを抱え、あるいはネギを籠バッグに入れ、陽気に歩く自分。服は適当だし、髪もざんばらで、生活感まるだしだが、顔はどことなく笑っている。
そんな私に、商店街の人たちが気さくに声をかけてくる。「今日は野菜がおいしいよ」「べっぴんさん、安くするよ」なんて。こちらも笑顔で「どーも!」だの「じゃあ、トマトいただいちゃお!」と答え、ついでに天気の話なんかをしたりして……。
そんな生活を送る自分を夢見て、あこがれを抱いていたのだ。
それは、臆病で、なにごとにも自信がなく、人の顔色ばかりをうかがう「超絶人見知り症候群(私命名)」だった私には、遠すぎるあこがれだった。
遠すぎるあこがれ、のはずだった。
ところが三軒茶屋という町は、私をいつまでも人見知りのままにしておいてくはくれなかった。
なにせ三軒茶屋の人々は、ともかく人なつこい。
彼らは私が人見知りなんてことはもちろん知らないし、知っていたとしても、おかまいなしで話しかけてくる。
商店街の店員ばかりでなく、おなじ店をのぞく客、おなじ軒下で雨宿りをしたひと、すれちがう通行人、バス停で同じバスを待っている人……ありとあらゆる人々が、私という見知らぬ他人に気軽に声をかけてくれる。

「そのストール似合うわねえ! すてき」
「このあたりはビルが増えちゃって、ビル風がすごいのよ〜」
「へい、ハニィ! もう帰るの?」
「今日はブロッコリーが安いよ。シチューがおすすめだよ」
「あんた、さっきもまだその作業してたねえ。釘抜き使いなよ、釘抜き」
「お姉さん、バス待ってるあいだ、いっしょにゲームする?」

そんなにぐいぐい来られて、どうしていつまでも人見知りでいられるだろう。
ただ、笑顔で「どーも」と答えるだけで、あこがれの自分になれるのに。

毎日毎日、ささやかな言葉が胸に降りつもっていく。日々、幸せになる。いつのまにか私は、自分が「超絶人見知り症候群」なことも忘れ、笑顔で「どーも」と挨拶を返せるようになっていた。
大好きな町にふさわしい自分へと変わることができたのだ。

三軒茶屋のある世田谷区を去ったのは、四十代に入るすこし前。ライフスタイルが変わったためだ。
今、私はあらたに好きになった町で、生き生きと暮らしている。三軒茶屋が教えてくれた、三茶スタイルの笑顔のままで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?