見出し画像

雲渦巻く〈雲南省〉少数民族自治区探訪記~元陽・ハニ族の長卓祭②~

元陽の町からさほど離れていない山中にある村で、ふたたび長卓祭が開かれると聞き、私たちは祭の見学をさせてもらうことにした。

▼前回の記事はこちら

うっすらと霧のかかった元陽村

四十分ほどかけて山道を登ると、目の前に安静とした村が現れた。
これまた名前がわからないので、勝手に「元陽村」と名づけることにする。

村の周囲を取り巻く森。私たちが到着したちょうどその頃、村人たちも森に集まりはじめる。

長卓祭が始まるまで、しばし、だらだらタイム。

さあ、祭の始まりだ!
爆竹の激しい音に、子供たちはみんな、耳を塞いで凍りつく。

左っ鼻から鼻水をたらしつつ、お手々はしっかり耳をふさぐ

爆竹が終わると、龍頭(長老)が「サァーッ(乾杯)」と、杯を掲げた。
村人たちもまた一斉に杯を掲げて「サァーッ」と応える。
子供たちもお楽しみに食事の時間だ。

「長卓祭」の意味だが、読んで字のごとく、「長く卓を並べる祭」である。
大規模な祭になると、町の通りにそれぞれの家が卓を出して並べ、長い長い列を作って祭を祝う。その形が龍にも見えることから、「長龍祭」という名で呼ばれることもある。

元陽村の長卓祭も、小規模ではあるが、二列に籠を並べているのが分かると思う。
見学していた私たちも、村の方のご好意によって、食事の席に加わらせてもらうことになった。

食事は、それぞれの家庭が、家庭ごとの自慢料理を持ち寄る。
上の写真は、私がお邪魔させてもらった家の料理。
真ん中には、刺身こんにゃくのようなものもあった。
……「ようなものもあった」と曖昧な言い方なのは、実はこの日、盛大に腹を壊し(恐らく、前日のバダ村の豚さんが原因)ていたため、それぞれ一口ずつしか食べることができなかったからだ。
もっとたくさん食べたかった……。

お米は、バダ村のときと同様、色つきのお米。
祝いの席で米に色をつけるのは日本だけではないようだ。お箸は木の枝。節があるので竹のようなものだろうか?

祭が終わると、家で待っている家族のために残しておいた料理を、机がわりにしていた籠の中に入れて、帰宅の準備。

そして村人たちは森から村へと帰っていった。
長卓祭は、明日、あさってと、だいたい三日ほど続けられるらしい。

手前の煉瓦囲いの中に、土が入っていて、植物が植わっているのが面白い

祭りが終わると、とある村人のご招待を受け、おうちにお邪魔させていただくこととなった。ハニ族の人たちは本当に気さくで、心温かい。

このとき、じつは留学生のあいだでちょっとしたひと悶着があった。
招いてくださった村人に、お礼としてのお金を払うかどうか、で意見がぶつかってしまったのだ。
実は留学の期間中、何度かこういう場面に遭遇したのだが、雲南省にざっくり二十五部族ある少数民族は、それぞれに文化風習が異なる。経済状況も異なり、「お金」に対する考え方もまったく違う。
お礼をどういう形で示すのか……お金でお礼を表すことは失礼にならないか……払うとして金額はいくらにすべきか……。

このときは現地に詳しい日本人に従い、留学生にとってはすこし「多すぎじゃないか」と思える金額を支払った。
その日本の方いわく、
「こっちの人数多いし、今後また来たときに融通をつけてもらえるからね。それに、奥さんがあんまりいい顔してないように見えるんだよね」
そういう理由だった。
招いてくれた村人にそっと渡すと、とても喜んでくれた。

「これでよかったのか」「金額は妥当だったか」「ひとりだけに渡してしまって、ほかの村の方が知ったらどう思うだろう」と考えは尽きない。
このずっと後、チベット族の青年の案内で、シャングリラの山奥に数日間のトレッキング旅に出かけるのだが、そのときもやはり同じ問題に直面した。
このときは、チベット族の若者がよかれと思い、現地でお世話になったチベット族にお礼のお金を渡したのだが、元陽とは逆に「あんまり嬉しそうじゃなかったなあ」という話が出た。
お金は、感謝の気持ちとして妥当なときもあれば、「人をもてなす」という民族的誇りに対して、侮辱、あるいは不本意という形になることもあるのだろう。

たくさんのことを学ばせてもらった、元陽の旅となった。
こころよく祭に招きいれてくださった元陽村の人々に心からの感謝を!

現地で手に入れた謎の日本語のお菓子「むぎこ💕うにはとり」
日本語があるだけで付加価値がつくらしい
漢字の「麦香鶏」で「むぎこうにわとり」なのだろうけど、この写真は……なまこ??

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?