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雲渦巻く〈雲南省〉少数民族自治区探訪記~洞窟村「峰岩洞村」~

雲南省の東南部に位置する「文山壮族苗族自治州」は、昆明から335キロ、ベトナムと国境を接した地域にある。
「田七人参」の産地としても知られ、「普者黒」、「広南八宝」をはじめとする自然観光地に恵まれている。
壮、苗、回、彝、布依族などの多民族が住み、様々な文化を見ることができる。

雲南省における文山地区の位置(白地図専門店さま)

そんな文山地区に興味を持ったのは、愛用していた現地ガイドブックに、ほんのわずかなスペースを割いて紹介されていた「峰岩洞村」がきっかけだった。
巨大な洞窟の中に村があるという、まるで当時人気を博したテレビ番組「ウルルン滞在記」に出てきそうな村だった。

私と友人は、同じく文山地区にあるという「普者黒」や「広南八宝」とともに、大した情報もない「峰岩洞村」を目指すことにした。
ただし手がかりは、「広南県の東南120キロ、南屏鎮」という記載だけだ。

弐脚の市場 観光地でもなんでもない地元の市場が好奇心を刺激する

文山地区へ向かう途中に通った山中の小さな町「弐脚(ニージャオ)」。
この辺りで一番大きな町で、何でも市場が開かれていた。
山に住む人々は、馬に乗ってここまで来るのだろう。町は人よりも、馬の方が多いぐらいで、ざっと数えただけでも千頭以上はいた。

広大な湖の間に顔を見せる山々は、いかにも雲南らしい形をしている

文山地区にある景勝地、「普者黒(プジャヘイ)」。
七月になると蓮の花が咲き誇り、「蓮祭」が開かれる。
湖の周辺には、少数民族たちの村が点在している。湖は物資輸送の要となる、大切な生活の支えだ。

湖のほとりにあるイ族の村「仙人村」には、静かな空気が流れている。

のどかな空気が流れる村のあちこちに、子豚がいた
湖とともに生きる、村人たちの舟
子豚の大移動

村の片隅、湖のほとりにある畑の中に、ぽつりと立っている像。イ族の守り神、獅子の像だ。
村の中心広場にも、この大きな像があり、村人を静かに見守っている。その形はどこかユーモラス。

村のはずれまで歩いてゆくと、突然広大な草原が現れる。
山々の間には、どこまでも広がる緑色の畑。
少数民族の衣装を着た男女が、畑仕事をしていた。

途中、「普者黒」で一泊し、私たちは一路、「南屏鎮」を目指す。そして長い長い道のりの末、ようやく午後三時半頃「南屏鎮」に到着した。
早速トラック運転手を見つけ、私たちは「峰岩洞村に行きたい」と告げた。すると返ってきた答えは、

「もう日暮れだ。あんな物騒なところに行きたくないよ」

物騒? 首をかしげつつ、詳細を知らなかった私たちは、「どうしても行きたい」と言って、30分以上も交渉を重ねた。
雲南省は、ショーケースにある品を指さして「これください」と言っても、店員にやる気がなければ「没有(ないよ)」と言って、あしらわれるような地域だ。どうしても欲しければ、粘り強く交渉をしなければならない。
今回もそういうことなのだろう、と思ったのだ。

「日暮れ前までに戻ってこないと、とても危険なんだ」
「なら、はやく出発しましょう! 遠くから来たんです。どうしても行きたいんです。長居はしませんからー!」

ついに根負けした運転手が、一人の若い運転手を生贄に差しだしてくれた。
そして私たちは、数十分後、何故ここまで運転手が嫌がったのかを知ることになる。

時間にしたら、おそらくは1時間程度のものだろうが、村までの山道はかなり険しいものだった。
ビル八階分はあるだろう断崖絶壁の狭い道を、トラックが激しく前後左右上下に揺れながら超低速で走る。
一歩間違えば、まっさかさまにあの世行きだ。
私も友人も無言だった。
途中、本気で「ここで死ぬのかも」と感じ、心の中で「お母さん、お父さん、先立つ不孝をお許しください」と謝罪したりもした。

「な? 怖いだろ? おれはすごい怖いよ」

がたがたと揺れる車内、運転手の言葉にうなずくこともできない。
途中、崖崩れで土砂に呑まれてしまった道を、車体を斜めにしながら強引に進む。そしてようやく目の前の山腹に洞窟らしきものが現れた。

洞窟の中にある奇村「峰岩洞村」だ。

光沢のある岩肌の先には、想像だにしていなかった光景が待っていた。

洞窟は想像以上に深く、坂状になって下へ下へとくだってゆく。
木造の家屋もまた、斜面に沿って下へ下へと連なる。
土で作られた階段が、家屋の間を縫って、下へ、あるいは上へと延びていた。

洞窟での生活は貧しく、政府の援助を受けて、村人が外へと移住したのはつい数年前の話だ。(2004年当時)
現在は誰も住んでいない洞窟村だが、今でも豚を育てたり、お喋りの場としても活躍しているらしい。
ちなみに、右手の建物の屋根は、屋根のようで屋根ではない。洞窟内のため、雨避けとしては用のない屋根はベランダの役割を果たしていて、かつてはここで穀物などを干していたらしい。

見えにくいが、天井中央に垂れ下がる牛の形をした鍾乳石は村の守り神

洞窟の奥は垂直に落ちこみ、その底は闇に呑まれて見えない。最深部までは100メートルもあるという。

石組みの階段は比較的新しい

村は人がめったには訪れることのない山中にあるため、最近になってようやく存在が知られ、政府の援助を受けられるようになったのだという。
かつての村の生活は、とても想像できない。

移住先の村は、洞窟村のすぐ脇の崖にある

聞くところによると、最初の住民は明朝末期、他州より苦役から逃れてきた人であったという。その後、やはり様々な事情で逃げてきたひとが加わり、九戸の村人がここを隠れ里にして暮らしはじめたそうだ。

そうした事情を知らなかった当時の私は、洞窟の外にある村を見たとき、「なんだか寂しい光景だ。洞窟村内での生活の方が豊かだったのではないか」と感じた。
当時、雲南省では漢民族が少数民族の村に進出し、観光客相手の商売をはじめ、その稼ぎを独占する……なんてことが多発していた。一部の漢民族や政府の強引なやり方であったり、少数民族の社会的地位の低さであったりに、敏感になっていたのだ。
ただ、のちに知ったことによると、援助が決まった当時、村人は声をあげて喜んだという。村人が他州より逃げてきた漢民族だったということもあるだろう。
外の、それも海外からちょっと来ただけの人間が、己の常識だけで人々の暮らしの良し悪しを安易にはかるのはよくないのだと痛感させられた。

洞窟村での生活は、数百年にも及んだ。

広南八宝の風景 あいにくの悪天候ながらに絶景だった

わずかな滞在時間だったが、連れてきてもらってよかった。
運転手も「満足したかい?」と表情をゆるめて言った。
無知ゆえの無謀さで強引に巻きこんでしまったが、この運転手には感謝してもしきれない。次からは「行きたくない」と言われたら、素直に信じて、従おう。
そう思いつつ、二度とは来れない場所かと思うと、やっぱり無茶をしてしまう気がする。

日が暮れてからでは、あの断崖絶壁の道は怖すぎるので、急いで村をあとにする。
もうすこしだけ時間があったら、もっとちゃんと探索したかったな。後ろ髪をひかれる思いで、ふたたびトラックが険しい山道をくだりはじめた。


後日談

2024年現在、この峰岩洞村は「天下第一奇村」として屋外博物館になっているらしい。
2004年当時、カメラのSDカードが12MBほどしかなく、写真をあまり撮れなかったので、こうして今の姿を高画質で見られるのは嬉しい!
こんな風になっていたんだなあ。


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