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2021年の夏休みの終わりに

推敲もしてないので長くて読みにくいと思うけど、今年の8月31日のために。


「8月31日の夜に」のタグでnoteを読んでいるのはどんな人なんだろう。元々学校が始まるのを前に憂鬱になる子供に向けたキャンペーンだったけど、悩んでいる人に押し付けにならず、ただの自慢にもならずに何かを言うのは難しい。読み手のことを考えることなく、長年のもやもやをただ吐き出している人もいるのではないかと思う。


それはそれでいいんだ。書いた人が救われるなら。


悩み苦しんだ人なら、他人が自分の苦しみを簡単に「わかる」などというのは苦痛だということを知っていると思う。「お前にはわかんねぇよ」ってなるよね。たとえ「いじめ」とか「差別」とかでくくることのできる「同種の悩み」を持っている相手でもだ。


だから「わかる」とは思わないけど、どうしたらいいか考えてみることはできる。
他人の考えに触れると、これは芸術とか音楽とかも含むけど、自分が見ていなかった方向からの視点や、思いもつかなかった道を見せてもらえる場合がある。それが解決法になるかも知れない。かも知れない、だけど。
これはその考えを外に出す人がいてこそなんだけど、出された考えが出した人の思った通りに受け取られるとは限らない。犬だと思って描いた絵をキリンと言われることもある。
でもキリンだと思った人がめちゃくちゃキリンが好きで、落ち込んでいた時に大好きなキリンの絵を見て元気になり、描いた人に「ありがとう、キリンの絵!」というかもしれない。言われた方は犬だと思って描いているから「伝わらなかった」ってなる。じゃあこの絵は無意味だったろうか。出さなかったら落ち込んだ人を救うこともなかった。
逆ももちろんあって、解釈次第では悪い方に取られて接した人を傷つけることもある。


だったらどうすればいいかというと、見るあなたが好きな絵の方を見ればいい。嫌いな方の絵に時間なんかかけることない。
つらい時って世界全部に否定されてると思うこともある。実はあなたが私を知らないように、世界の人のほとんどはあなたを知らないし興味もない。いいも悪いもなく、知らない。
知って欲しければ自分の外に出すしかないし、それが他人に影響することがあって、場合によってはいい方に働く。そういうこと。


そこで、自分の考えを外に出して誰かに触れられるようにするときに、覚えておいた方がいいことがある。それは、礼儀正しくすること。


無礼というのは攻撃で、「やりとり」を拒否した押し付けになる。そのやり方で得られるものはないです。だいたい、自分が大事に思っていない知らない人に時間をかけることがすごく特別で、他人に要求して当然のことではないので。
私も全然距離感が分からない人間なので、この距離はほとんどすべての人に敬語で接することで、普段広めにとっておく。そうしたら逃げるのもちょっと楽になるし。


あなたの苦痛を100%「わかる」人はこの世にいないけど、解決法に利用できる経験を持った人はたくさんいると思うので、礼儀をもって上手に探して、使い倒して楽になってください。


今年は以上。また来年書くこともあるかな。

※画像はパリ郊外の知り合いの家に一人で行ったとき見つけた路上のペイント。ブランドショップは全然知らないけど、普通の街を歩くのが楽しい。

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