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生きるを考えたこと

⚠️推測の域を出ないような話になります。わたしの考えを話しているだけですので、嫌な方はここで、そっと閉じて下さいね。それでもアタシ読むわ!という方は、どうか広い心でお願いします⚠️

にっぽんてなんでしょう。

新しい時代に向けてわたしたちは
いつも生きている。
わたしには、なぜかわからないけれど
〈待ちわびた にっぽん〉
と。
どんな意味なのかもわかりません。
だから、時代の節目を溯ってみました。
ある節目で溯っていたのが止まりました。


それは…明治維新。
歴史的に大きな動きがあったと思います。

明治維新…新しい時代への動き
新しい時代…古すぎるものは消えていく
新しいもの…強い息吹
新しいものが来る前に古きと新しきの
世代交代との交差点の和合
残るものは残り
そうでないものは無くなっていく
これを現代に代入すると…💦

わたしは、生きていく方法を
考えてしまいました。
我慢の多い現時点、
どこかの節目とも共通するようで。
ヒトは、我慢が多くても少なくても
強い刺激を求めます。
安定していても、それはカリソメの安定で
そこからわき目をふってしまいます。
バランスを失えば、自滅か共倒れ。
そのわりには、大きな変化を嫌う傾向も。
しかし、その傾向は生きるために必要な傾向で
追い求め過ぎないこともバランスをとる重要なこと。
では、いまのわたしたちは?
そう考えていくと、

国という括りすらもう古いような気がして。
全てが古いというのではないのです。
思考法が古いからそこの転換も
目を向けることも必要。
変わるモノコト、ヒト、思考、時代ありますが
自分に向き合い、話す。
そうして考えて、生きる。
ヒトは知識を得て、知恵を使い生きている。
わたしたちの思うにっぽんとは。
わたし的には、生きてりゃ何とかなる!と
ある時点からなっていますが…。
じゃあ、世界は?
わたしたちの足元を固め生きている地は?
地球🌏。
どんな思想も、生きていく為にヒトが
ヒトのために作ったもので、
受け流すか、理解しようとする癖がなければ
崩壊するのでは?
この様なことを考えるうちに、国という括りに
とらわれすぎても、バランスを欠き
自分で自分の首を締める。
言葉にとらわれて、考えることを手放してはいないだろうか。

ただ、この地に生まれ、
ただ、この人種というだけ。
DNAも。
誰を批判するでもなく、自分を生きる。
この自分を精一杯生きることがわたしには
今時点、大切なことなのではないかと
考えるのです。
誰に縋るでもなく、生きることが出来ると
わたしは思っています。

だから
〈待ちわびた にっぽん〉
かなぁと、思いました。

違うかもしれないけど…💦
ここまで読んでいただき、ありがとうございます♡

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