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津の奥山の銀の狼─湯屋娘─結びその先へ

娘は、早朝夜明け前に山に歩いた。
そこは、舞をする山でもあった。
さらさらと山の頂上から流れる小川を
手で触れると、そこにひとりの女性が立っていた。

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娘は気づき、声をかける。
『この水はとても澄んでいて、気持ち良いですね。』
女性は、嬉しそうに微笑み、娘を見る。
『水は、恵み。循環。巡り。流れの理解。
カタチが有り、カタチは無い。そのような
ものです。』
娘も微笑み、女性に向き直る。
『今日、舞を奉納するんです。あの狼も
見に来てくれたらと思って会いにこの山に
来ました。』
と、娘は少し舞を舞って見せた。
舞を見終えると、女性は微笑み娘に言う。
『会えると良いですね。その狼もきっと
見たいと思っているでしょう。』
そう言うと、女性は微笑み山に消えていった。

舞を奉納する社に戻った娘は、準備を進めていく。衣装を整え、紅を指す。目を閉じて、今朝のことを思い巡らせる。
ざわつく境内に気づいた娘は目を開けると、
祭壇があらされていることを村人から聞く。
すっかり衣装の整った娘が覗き込むようにして見ると、確かに荒されている。
爪痕も残っていた。荒らしたのは…。
しかし、それは、狼のせいということになってしまっていた。
娘は、泣きながら村人や神主に訴えた。
『そんなことするはずないの。だって、私が
山に行った時は、何もしてこなかったもの。
それに…今年は誰も襲われてないのに…。』
本当は、冬眠前の熊の仕業だったが、村人達にとっては、狼の方が脅威であったのだ。
村人達は皆一様に狼の仕業にしていた。
『さ、もうすぐ始まる。用意を。』
神主に言われ娘は舞う場所に立つ。
すると、舞の直前、フラリとあの銀色の狼が現れた。

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村人達は一斉に猟銃を構え、狙いを定める。
村人は、猟銃も用意していたのだ。
しかし、狼は何故か逃げずにじっとしていた。
娘の舞を待っている様だった。
楽が、始まる。
次の瞬間山中に猟銃の音が響き渡る。
ドサリ、と鈍い音がした。
村人は皆、音の先を我先にと追う。
その音の先には、狼の前に倒れている娘の
姿だった。
おびただしい出血の痕を抑えるようにしていた
血だらけの手を狼に差し出して、娘は途切れそうになる息の中、狼に話しかけていた。
『貴方は…無事なのね。良かった…。
…もう里に降りてきては…駄目よ…貴方の
キレイな毛並みが…血で汚れてしまう…
逃げて…』
そこまで言うと娘はこと切れた。
狼は娘を咥えて背に乗せると、山へ走り出した。
途中、銃声が響き、狼にも命中するが、
狼は構わず走り抜けた。
狼だけが知っている、清らかな場所に着くと
狼は、娘を降ろす。
自身の身体ももう保たない。
途切れる意識の中、狼は何を願ったのか。
そこの場所には、名も無き花や動物が生きて
いる。狼と娘の躯が寄り添う様に在る。
その様子を悲しげに見ていた、
ヒトが神と呼ぶその女性は、狼を見つめ言う。
『このお前の魂は、暫く私が預かります。
このような悲しいことにならぬ様、同じことを繰り返さぬよう今暫く、時が必要なようですから…。』

それから、その山では夜毎哀しげな狼の咆哮が
聴こえると里では言われている。
哀しい…それは、愛しい、と聴こえる咆哮が。

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時代を時を越え、そして、いま…。
水の豊かな湖が近くあり、穏やかな山に
ある神社に1人の女性が立つ。
鳥居を潜り、切り通しを抜けたあと
広がる景色に女性は誘われるままに
歩を進める。
拝殿に立ち、女性は暫く見つめ見上げる。
遠く山城の国から勧請している社であった。
社の名のついた提灯を見て、女性は涙を流す。
『あぁ、やっと会えた…。』
涙を拭いもせず、拝殿を後にし、女性は
摂社へ歩く。
人を寄せ付けないような空気にたじろぎもせず
女性はその小さな摂社の拝殿前に立つ。
柔らかな風が女性の右耳をくすぐり、
吹き抜けていく。
『貴方は…。』
そう呟き、女性は微笑み
『ひとりではないのだもの。ね。』
と言い、強い1歩を踏み出す。
その女性の傍にあの狼の姿が在る。
その女性の持ち物に狼の飾りが揺れていた。
          ─結─

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