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ため息264:いかに負けるか→ロスカットの基本コンセプト

1970年代前半、次々と大学民主化のうねりが沈静化し、国際反戦デーが動員力を失っていく頃、学生たちには「いかに負けるか」というキーワードが浸透していきました。
右肩上がりで盛り上がっていた時、国会周辺へのデモをしかけるリーダーは、ある種の美学を持っていました。「機動隊の最も厚い壁を突破する」ということでした。
革共同革マル派などに指導される全共闘のデモ隊は、出発する前に有力闘争委の代表が決意表明をマイクで叫びました。その中で、本日の目標、どこで何をするかなどを公表。参加者の「異議なし」という同意をとりました。周りでは公安や機動隊が、聞いています。デモ隊は発表どおりの行動をとり、目標となった地点には機動隊の厚い壁ができ、そしてデモ隊は壁に向かって何回か突破を試み、その過程で先頭の何人かが検挙されます。
殉教。守りの手薄なところを、突き破るようなゲリラ活動は評価の対象とはなりません。デモの解散地点では、総括のアジ演説があります。そこでは、厚い壁を粉砕して一定の成果を上げたことを発表し、不当に検挙された仲間が何人いたとかが報告されます。ヘルメットが回され参加者がカンパといってカネをいれていきます。使途不明金だったと思います。
検挙された同志は、2~3週間でキャンパスに戻ってきます。その間に後継者が育ちます。それを繰り返していくことにより、お勤めを経験した筋金いりの戦士が養成されました。
そして活動が後退期を迎えると、今度は、次を目指していかに負けるかという終活に入りました。

当時、気が付かなかったことは、負けをコントロールすることでした。100回戦って100勝はないのですから、1回の負けですべてを失わないようにリスクを分散するこというリスクマネージメントの考え方がありませんでした。
バブルの時もそうでした。いつかはハジケルと知りながら、今ではないと思っていました。損切りを日和見主義と否定しました。今思えば、学生の後ろにいた論客たちには、打率3割で殿堂入りすることを潔しとしなかったのです。敗者の美学とノンポリコメント屋に言われてしまいます。

彼らの同志にロスカット5%ルールを厳守するデイトレーダーがいて、活動(運転)資金をM作戦ではなく、有価証券投資で調達していたら、金融業界の人脈は変わっていたに違いありません。原爆2発を投下したお詫びとして集めた基金で建学された三鷹の単科大学では米国人財務副学長が有価証券取引で総数1000人弱の学生たちに低額で良質なキャンパスライフを提供していました。

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