金言260:通知

昨日、年少者から「転居の通知」が届きました。少し違和感を持ちました。
「引っ越しました」の連絡は、「お知らせ」が適切ではないか感じました。「通知」という用語は行政機関が所掌事務に関して使用するのが一般的かと思います。行政機関相互でまたは、国民に対して、ことがらを告げ知らせるときに、「通知」します。

年賀状にも、ビジネス用、家族用、友人知人用、一般用と用途別にデザインや用語の使い分けがあります。同様に、「転居通知」にも、相手との関係にそったものが求められて、実践されてきました。普通の慣習として、いままではそうでした。これからは、そうではないのかもしれません。

ITバブルの頃でしたか、高度情報化社会を肩で風を切って商売をしていた企業の従業員にその兆しを垣間見ました。
当日体調不良で病院立ち寄りという電話があり、昼前に事務所に現れた若者に、「大丈夫?」と社交的なあいさつの声をかけたら、「大丈夫だから出社してきたのです」と冷や水を浴びせられたことがありました。同じ若者は、会社の重要イベントで記録係としてカメラ撮影を担当したことがあります。撮影したという会社の備品のカメラからは記録したというデータがありませんでした。写真が写っていなかったのです。そのとき、この小僧は、カメラが壊れていたとして、庶務係に修理を依頼しました。カメラが壊れていたので撮影ができなかったわけで、本人は悪くないと主張しました。カメラの管理責任は庶務にあるという理屈です。昨今の皇族との婚姻内定母子に似たところがあります。

年少者から通知を受ける時代になりました。ちょっと食後に居眠りをしている間に、年長者は、格下の者から通知され、暇なときに新居に立ち寄るよう指示を受ける、そういう世の中に変わったのかもしれません。
まだまだ、情けないという思う気力は残っていますが!

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