金言219:金は払っているという理屈
2006年頃の話。
IT業界の寵児といわれた小太りの若者が、「偽計、風説の流布、粉飾決算」容疑で逮捕され、獄中で代表取締役辞任の意思表示をしたと報道されました。この人は逮捕される前に、「弁護士に金を払っている」といいました。
この一言を聞いて、「世の中、金がすべてだと思っている」とか「金で買えないものはないと勘違いしている」とかコメントした年長者がいました。選良として政治活動を通じて長年利権に触ってきた一部の政治家や官僚には言われたくない言葉です。この人たちにとって、すべての道はカネに通じているはずです。
「金は払っている」というのは、相手の提供するサービスを理解し発注する意思を表示し、当事者間でサービスの内容について合意し、その証として「着手金を払った」ということを、あの若者は言いたかったにちがいありません。金を払わず、口先だけの人たちに対して、自分の責任で契約に基づいて動いている正当性をいつもと同じ言い方で口にしたのでしょう。
(某メディア株の大量取引で「支配する」という言葉を使って嫌悪感を持った大人が最近は抵抗なく「支配する」という言葉を使っています。)
少し話題がずれますが、介護が必要な親の面倒をどう見るかという場面で似たようなことがあります。
Aは身体を動かして面倒をみる子ども
ただし経費を要求。
Bは自分の家族を優先して親の介護に腰がひけている子ども
必要経費の負担も嫌がる。
Cは事業に専念することで介護費用を捻出している子ども
金は出すが介護はしない。
AはBとCに対して、親の面倒を看るかわりに、必要経費と報酬の支払を請求します。Bは家族の承諾がないと動けないといって逃げ腰です。Cは金ですむなら払うといいます。ところが、対価を要求するAは、Cに対して金を払うだけで何もしないと文句をいいます。介護はするが金を出さない子ども。介護はしないが相応の金を出す子ども。
他人に何かをしてもらうと金がかかります。無料でやってもらう場合は、後々高くつくことを覚悟しなければいけません。現実に親の介護ができない子どもは、親に提供されたサービスの内容を評価して相応の費用を払うことで介護を提供したと考えます。口先だけでは、他人からサービスの提供を受けることはできません。「金は払っている」と口にする正当な理由がここにあると思います。
「金の切れ目が縁の切れ目」というなら、金の流れを切らさない限り、縁は切れません。組織に運転資金がなくなれば解散です。そういうことで、「金は払っている」という理屈がここにもあります。
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