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金言367:訛り懐かし

若い頃は、何かにつけて反省し、このままではいけない、もっとがんばらなくてはいけないと考えることが多かったような気がします。昨今、何かにつけて「懐かしい」と感じる機会が増えました。

小学生の頃行った、富士市の母の実家を懐かしく思いだします。駅前の線路際に家があったので、貨物車の連結する音、その先の製紙工場からの臭い、そして柔らかい静岡の訛り、この3つが懐かしさを呼び起こします。横浜に生まれ育ち、あまり地方の訛りに触れる機会がなかったので、小学生の頃は、普段普通に話している母が田舎では、耳慣れないイントネーション、意味不明の単語を使うのが不思議でした。

90年代に外資企業に転職して欧米に毎月のように欧米に単身出張していた頃、行く先々で出会う日本人の過半数が関西訛りであることが不思議でした。スポーツ用品業界にいたためかもしれません。日本の3大スポーツ用品メーカーや大手商社などが総て関西本社で、周りに関西出身者が多かったことが、過半数の主な理由でしょうが、それにしても、関西の人たちの目立つ自己PRのおかげで、いたるところでお仲間と仕事をすることになりました。パリの和食屋、ニューヨークのラーメン屋など日本人がよく行く飲食店でも、関西風が日本人の機軸言語のようでした。もちろん、本職のスポーツ業界でも各社幹部の人たちの機軸言語は関西風でした。当時は、グローバルな商品が一地方の民芸品のように売られているような違和感を覚えましたが、今となっては、懐かしい商いの1コマです。

IT業界に転職してときも、同様な感じでした。米国発の最新技術が日本語化されずにカタカナで日本市場に紹介されます。この場合も、半数近い技術者が関西風の日本語を使っていました。東北にも関東にも九州にもそれぞれの訛りがありますが、東京ではそれらの訛りを公の場、多数が集まる場で使う人はレアケースで、ほとんど耳にする機会はありません。関西の人たちだけが、くせのあるアクセントやイントネーションをつけて米国発の先端技術をカタカタとローマ字の短縮文字を使って紹介してくれます。IT技術は、ローカルな民芸品の一部かよと、再び違和感を覚えました。今となっては、懐かしい異業種の1コマです。

話がとびますが、南仏でテニスラケット販売の国際会議に出席した際、同じアジア人ということでマレーシアの中国系ビジネスマンと行動を共にする機会がありました。普段彼は、育ちのよさと高学歴がわかるきれいな英語を話していました。ところが、会議の席上、質疑応答の場面で20カ国以上の出席者を前にしたとき、彼の英語は中国訛りでした。後にそのことを本人に尋ねたところ、緊張したためだと説明してくれました。余裕のあるときは教科書的な話し方をしますが、咄嗟に口にする言葉とか、緊張したり重要なことを表現したりするときは普段使っている言葉がでてくるそうです。
貨物列車が連結するときの音、製紙工場の異臭、そしてやわらかい地方の訛り。そのひとつにでも触れるとき、懐かしさがふわりと浮かんできます。トヨタレンタカーの受付でベテラン従業員に「XXXでよろしかったですか。」といわれても「まあ、いいか」と勘弁してしまいます。

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