金言270:自分への投資を惜しんではいけない

1)趣味がない
90年代後半、まだブロードバンドが登場する前のことです。MACからWin95に乗り換えて、すぐ爆弾のでる画面から開放されました。その代わりにフリーズに悩まされるようになりました。初めてホームページなるものを、門前の小僧状態で学習しました。IBMのホームページ作成ソフトを紹介されて、コンテンツの更新が容易になりました。ウェブサイトの作成・更新ができるようになったので、次に個人のホームページをたちあげようと思いました。スキルを覚えたときに掲載するコンテンツがないことに気がつきました。個人情報をウェブサイトに掲載することによる被害が深刻になり始めた頃です。個人情報に関連するコンテンツは使えません。そうすると、趣味の世界が無難だということになりますが、ここで発信するような趣味をもたないことに気がつきました。若い頃はいろいろ人並みに楽しんだのですが、バブル経済が崩壊してからというもの、趣味の世界では暗黒の時代が20年以上続いていました。仕事以外で、広く発信できる内容もないし、不特定多数の閲覧者と共有できるものも見つかりませんでした。開業資金はあっても約款に記載する主たる業務=儲かる仕事が見つからない団塊の世代のひとりで、結局様子見というところでした。

2)他人の会社
しがない勤め人を長くやっていると、他人の会社に勤めていることが気にならなくなります。漁師が船を出して魚を採れるのは網元のおかげです。優れた漁師であっても、船や網を持たないことに疑問を持ちません。勤め人も同様です。与えられた仕事をきっちりとこなすことで生活費を稼いできましたが、きっちりとやってきた仕事がなくなったり、きっちりとやっているのに報酬が減額されたりすると、今までどおりでは暮らしていけないことを感じ始めます。勤め先の会社というのは、結局他人の会社であり、勤め人というのは、船も網も持っていない漁師に似ていることに気がつきます。ベテランは漁場と漁法に詳しいのですが、道具と環境が整っていなければ何もできません。普通のサラリーマンは、会社の名刺がなくなったら、取引上の信用もなくなってしまいます。

3)自分の株に投資する
個人のホームページを作成しようとして、自分には公開・共有できるコンテンツがないことに気がつき、そのうえ、いつまで他人の会社で他人のために働くのかという疑問を感じました。
富と豊かさの源泉は、まちがいなく、自分自身であります。助けが必要なときに助けてくれるのは、他人ではありません。結局、自らを助ける者だけが助かるようです。個人投資家は他人の会社の株に投資してリターンを狙います。個人としては、「自分の株」に投資して、意思決定のリスクは自らが負い、生じるリターンに対しては最優先で享受したいものです。
大事なこと、それは、自分への投資を惜しんではいけないことです。自分自身に対する先行投資を始めると、個人のホームページのコンテンツが、不思議に次から次へとあふれるように湧いて出てくることを知りました。

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