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金言473:わがままな人生

人は若い頃に「わがままに生きる」、または「我慢して生きる」の選択をします。
ほとんどの人は「我慢と協調」を選択し、ごく一部の人はわがままに生きるという道を選択するようです。

「わがまま」を選択した人は「わがまま」を受け入れてもらえるための「それなりのポジション」を得るために、「我慢と協調」を選択した人ができないレベルの努力をして「それなりの成果」をだします。 ここはダメだけれど、ほかでここまで凄ければ仕方がないというレベルに到達できれば、「わがまま」は通ります。もちろん、「わがまま」は認めないという社会や組織では村八分になります

昔、スポーツ紙を賑わした歌手が、「歌手」は本来「歌」で評価されるべきで、プライベートな側面で評価されたくないといいました。相撲でも、歌舞伎でもトップに立つ人物はトップレベルの品格を要求されるでしょうが、それでは品行方正で非の打ちどころがなければその業界で一番になれるかといえば、全くそうではありません。利益追求の私企業なら、まじめで悪さをしない営業マンがトップセールスパーソンであるかというと、それはとんでもないことです。営業マンなら、年度内にどれだけ会社の利益に貢献する注文をとってくるかで評価されます。

営利企業では利益に貢献する限りにおいて、「それなり」の「わがままと悪さ」が認められるはずです。ですから、「わがまま」でありたい勤め人は、精一杯努力して実績を積み上げるために努力します。

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