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「適当」の神

「適当」という言葉がある。

最近の日本語では、その言葉はあまり良い意味では使われないというか、良くない言葉のように受け取られることが多いと思う。

本来はちょうどいいとかそういう意味だったのだとは思うのだが、実際にそのような意味合いで使われている場面に出くわすことは、僕の普段の生活の範囲内ではまれだ。

考えていたらなんだか、適当のことが不憫になってきた。


昔から不器用な生活しかできなくて、失敗ばかりしている。
とにかくバランスを取るのが下手で、偏ったことばかり。
きっちりする、というところにもそれがよく表れてしまう。

何かときっちりしておきたいのだが、いろんな理由で全部をきっちりできなくなりそうだ、となると、きっちりできそうなところを選んでそこだけきっちりして、残りは何もしない。
そういうことをやりがちな性分だ。

部分的にするそのきっちりも、冷静に考えればこんなところをきっちりしても特に良いことがあるわけでもないのに、と思えるようなことでもきっちりしたくなってしまうことがよくある。

実際には全部をほどほどにする、というようなリソース配分をしてもいいはずなのに、そういうことはあまりしない。

もしかしたら、戦力は集中して運用すべし、みたいな今までのゲーム脳的な部分の影響があるのかもしれない。
まあ、本当は単に性格とか考え方のくせのせいなんだと思うけれど。


配分の話はともかく、何かをするときに、あるいは始めるときに結構きっちり計画を立てておかないと気が済まないところが少しあって、とりあえず始めて細かいことは後から考えよう、みたいなことはあまり得意ではない。

特に、計画以外のことでも後で修正したりすることが出来なかったり、出来なくはないけれど、ものすごく手間がかかることがあると、本当にこれで良いかどうか考えすぎてしまって、ひどいときはそれだけで数日経っていたりする。あほだ。

実際にはそうやって立てた計画などは、後々になって必ずと言っていいほど状況が変わってしまって役に立たない部分が出てきてしまい、修正を余儀なくされたり、それどころか計画そのものを作りなおしたりしている。

そういう経験をしたのは一度や二度ではないのだが、それでもそうやっておかないと気が済まないらしい。
ほどほどにしておけばいいのだが、ちょっとだけ計画するとか大体でいいとか、なんとなくがなかなかできないのだ。


僕がいまネット上で使っている「かすてら」という名前は、ずっと昔にとあるオンラインゲームを始めるときにものすごく適当 (良くない意味で) に付けた名前だったのだが、使っているうちに愛着が湧いてきて、結局今日まで使い続けることになってしまった。

厳密にはそのゲームを始めるときにではなく、キャラクターを作るときに付けた (キャラクターはいくつも作ることが出来た) のだが、長くなるのでその話はまた別の機会にしようと思う。

話を戻すと、そのキャラクターを作るときはちょっと様子見程度に始めて、つまらなかったらこのキャラはやめたらいいや、と思っていたのだが、思いのほかはまり込んでしまったのだ。
始める段階ではそんなに大事にも思っていなかったし、割とどうでもいいと思っていたということになる。

よくよく考えてみると、きっちり計画を立ててしまう場合というのは、すでに自分の中で大きな存在だったり大事なことになっていたりしていることが多かった気がする。
こういう場合、すでに自分の中に良くない執着や思い込み、こだわりが発生しているんだと思う。

人間、適当にやってても案外なんとかなったりする。
それは自分の経験や体感としても実際にある。
たとえそれが直感に反するとしても。

だいたい、適当に付けた名前をいまだに使っているなんて。
それもきっかけのゲームもとうにやめているのに。
これが適当のパワーでなかったら、いったい何だと言うのだろう。


ふと思った。

適当でいいと思っていると、本当に「適当」になるのかもしれない。
いい加減は良い加減というフレーズもよく目にしてきたが、やっぱりそうなのだろうか。

もしかしたらそういう神がいるのかな。
適当にすると、本当の適当にしてくれる神が。

人によってご利益がある人とそうでない人がいる可能性もあるが、もしかしたら僕は、その神さまのご利益にあずかれるタイプの人間のような気がしてきた。

あまり何かを意識的に信仰しようとしたことは無かったのだけど、これも何かの縁だ。
ご利益目当てだなんてばちあたりかもしれないけれど、思い切って今日からは、適当の神さまを信じてみようかな。


でも、ひとつ問題があった。
知らず知らずのうちに信じ込んでしまっていた神だ。

人によってはものすごいご利益があるのだと思うが、僕の場合はどうだっただろうか。
決して悪い神さまではないと思うのだが……。

半端にしみついてしまったきっちりの神と別れるのは、なかなか難しそうだ。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。