13.言語と土地と考え方 5

土地ごとに生活を適応させた先に文化と言語がある。また、他の土地環境の中で成立した文化言語を持つ民族との交わり方が、立地によってそれぞれ異なる。初期の交わり方が領土争いと交易から来ているとして、そういう交わりがほぼないまま生き延びることができた民族があれば、交わりだらけの民族もある。単純に、ヒトにとって「豊潤な=暮らしやすい」土地は争奪戦になり交わりが多く、「暮らしにくい」土地や「辿り着きにくい」土地(極寒の地や、高山、密林など)は、あまり交流が起こらない。

「豊潤な暮らしやすい」土地の争奪を繰り返す中で、そういう文化圏に属していたヒトは、さらに「そういう」環境に適応するのだと思うが、これを進化と呼ぶことには違和感を覚える。あくまで「適応」もしくは」「適化」なのだと思う。

交わり方も立地によって様々で、直接的に交わりのあった民族もあれば、ごく間接的な交わりが主だった民族もあり、そういう「交流」をひっくるめてそれぞれの「歴史」と呼びたい。他文化や多言語との交わりの歴史の中で、互いに影響を及ぼしながら、それぞれの文化と言語が形成されていくのだと思う。が、基本的には、やはりそれぞれの「実生活」が文化であり言語を形作っている。例えば異文化・異言語がある別の文化の中に流入しても、基本的には、その土地土地での「実生活」の中に組み込まれるか、もしくは生活様式そのものが導入されても、その様式はその土地の特性に適化して変化して定着するものなのだと思う。

交わりがあっても、そういう「適化」を繰り返して、文化や言語は地域による独自性を保って存在してきているのだと考える。

が、奇妙なものは、その土地土地の生活とは直接結びつくことなく、「文字」に閉じ込められた概念のまま存続する言語だ。通常、言語も文化もそれが存在していた地が滅びれば、同時に滅びていくものだが、「文字化された制度や概念」だけが「言語」として存在し続け、さらにそれが、実生活に直接関わりのないまま、人間の「思考」の中に存在し続け、人の行動を左右することだ。これが、どうも奇妙に思えてならない。

各土地土地における実生活には関わりのないまま、概念のみを伝えるものとして存在している「死語」のようなもの、宗教や学問のみに使われる言語だ。

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