10.言語と土地と考え方 2

言語の始まりは、同種間のコミュニケーションだと思っている。そういう始まりだと想定することが最も附に落ちる。どんな動物も、生まれ生きていく中で、あらゆる手段で生き延びるのに必要なコミュニケーションを同種の仲間と取り合っている。ヒトの祖先だけ特別で、根本から異なっていたとは思わない。

その、必要なコミュニケーションの手段の一つに音声がある。言語は基本的には、(こと霊長類に顕著にみられる)音声を使ってのコミュニケーション手段が、ヒトなりに環境に適応していった先に生まれたものと理解している。具体的には、何度も書いているように、脳が「ある音」を「目の前に存在する何か」の代替え品として認識できるようになり、かつそれを蓄積できるようになっていった、と思う。

これも何も特別なことではなく、深海魚が環境に適応して「深海魚」の特徴を持つ魚になっていったように、コウモリが生存競争の先に飛ぶ形の哺乳類になっていったように、ヒトは生き延びていく中で、五感で認識したものを、ある特定の音に置き換えて再認識できる、そしてその「特定の音」を蓄積できるように、脳が適応していっただけではないかと思う。

この「ハードウェア」をもったヒトが、集団ごとにテリトリーを求め、(それがどこであれ)「人類発祥の地」から各地へ移動して行った、という理解をしている。ヒトの最大の特徴は、適応能力の高さと考えているので、集団ごとに、それぞれがテリトリーと定めた土地に適応して生きていく。水の少ない砂漠という環境に身を置いた集団、密林の中に身を置いた集団、比較的土壌の豊かな地に身を置いた集団、極寒の地に身を置いた集団、暑くも実りのある地に身を置いた集団、それぞれが、その地で生き延びるのに最も適した「生存=生活の術」を長い時間をかけて作り上げていく。

食糧の確保から、身を守る術、住居の形、種の保存の方法、そういう基本的な生存のための行動を、各集団が身を置く地の環境に合わせ、繰り返しの中で一つ一つ定着させていく。その先にあるのが社会であり文化だが、当然言語も、その過程の中で、コミュニケーションの必要性から、それぞれに生じていったものだと考えている。

ヒトは、「もともと遺伝的にある決まった思考(言語)構造を持っていた」のではなくて、「『言語』を発達させ得る機能(脳・五感=ハードウェア)を有していたヒトの集団が、定住した各地で、同時多発的にそれぞれの必要性に合わせてそれぞれの言語を形成して行った(=ソフトウェア?)」、かつ「環境の違いはあれど、ヒトという同種の生物が生存という同じ営みをするのだから、根本にはある程度同じような特徴を共有していた」と考えるほうが附に落ちる。

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