14. 頭の中だけと繋がる言語

彷徨える言語、概念で出来た言語、現実を失った言語、実態の無い言語、亡霊のような言語、もしくは過去からの呪縛。色々な言い方ができるが、これまでの流れから、頭の中だけと繋がる言語、と名付けておきたい。実生活と関わりのないまま(実生活では別の言語を使用しているのに)、人の頭の中の、概念の部分とのみ繋がって存在する言語。

言語・文化がそうであるように、神話伝承の類は、それが生まれた土地で生き抜くための知恵を、その地に暮らす先人たちが長い、長い時間をかけて集約したものなのだと考えている。故に、その土地土地の神話伝承は、その地を訪ねてみると、なるほどと附に落ちるようなところがある。ちなみに、各地の創世神話などに見られる共通性に関しては、そもそも「ヒトという生物が営む生活」が、各地の環境に応じて適化していったのが文化と考えているので、同時多発的に各所で似たようなことを思いつくのはごく自然なこと、程度の問題だと思っている。

批判をするわけでは全く無いが、日本の多神教の文化の中で育ち、日本語という古語から現代語へと続く言語(このほうが稀なのかもしれないが)を母語とする者の感性として、ふと、この「実生活にはすでに直接結びつかなくなっているのに、頭の中で自己完結した『思考』が人の行動を束縛し続ける」ようにも見える、こと宗教の言語が奇妙に思えることがある。「学問のみに使われる言語」と言われれば、「学問」は実生活から隔絶した存在にもなり得るので、まあそんなものとも思える(学問と宗教を切り離すのは難しいのかもしれないけれども)が、宗教は「生き方」で実生活に直結している。故に、それが書かれた時の「現実=知恵が生かされる先」ははるか昔に滅びさっているのに、その言葉に凝縮された「概念」のみが人の頭の中だけで生き延びているような、「概念⇄言葉 | 現実世界」となっているような言語の存在を不気味に思うことがある。

人間は、認識と言語を併用して、頭の中に「擬似世界」を作り上げることができるようになった、と考えている。その頭の中の構造をざっくりと

①現実の物質世界(及び自らが体感する事象)を認識する部分=体験を伴う
②言語により伝達された事象を認識する部分=他者の体験の理解であって、体験を伴わないが、①に基づいていることが多い
③ ①と②を使って、現実の物質世界には存在しないものを想像する部分=空想、妄想 → さらに、この部分が大まかに以下に分かれる
  a)現実には存在しないが現実に還元できる想像
  b)完全なる空想・ファンタジー・妄想 

と定義している。 ちなみに「理由付け」や「予測」などの力も、「繰り返しの認識の蓄積①とその応用②③」の範疇だと考えている。

で、神話や伝承、延いては宗教は、この三つを跨ぐ(繋ぐ)形で存在すると考えている。①との繋がりを失ったものは、やがて空想物語(もしくは単なる知識)となり、それと結びついていた言語は死語となって、別の何かへと変化していく。

が、①との繋がりを失ったまま、文字というものの中に残されて、かつ死に絶えず、人の頭の中の②と③の中でのみ繰り返し繰り返し解釈を重ねられ、存続してきた言語の存在は、改めて眺めてみると、とても不穏に思えてならない。そして、そういう言語の存在が、「哲学」や、ヒトという存在を特別視する考え方の、おそらくは基盤となっている。

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*本日起きた時間から計算すれば、今はまだ通常の8時台に当たるので、今はまだ8:40というつもりで投稿!



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