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6.頭の中の擬似世界と現実世界

認識は、言語によって明確に定義されると思っている。認識のみでは他者とのコミュニケーションに限りがあるが、言語と認識が共存して人間の頭の中に、現実の物質世界を反映する擬似世界を構築しているのだと思う。

A. 実在するものの認識(体験・実感を伴う)
b. 言語による「観念」の理解、知識(実際に存在すると多数により認められているものの、個人的な実感はないもの。体験を伴わない)
C. 上記二つを使っての、実在しないものの空想(物語や妄想やうそ。予想や創造)

通常、人間は、目の前に存在しないものを想像して現実に作り上げることができるので、Cの空想が具現化して、それをさらに認識してAへと変わっていくこともある。人間社会は基本的にそういう流れの上に成り立っている。

この頭の中に認識されている擬似世界は、現実に存在する物質世界を反映しているものの、同じものではない。現実を私たちの頭が認識しているんだから現実と同じでしょ、となりがちだけれど、実際は「物質世界」と「それが(頭の中に)認識されたもの」との差異が少ないものを、人間が「私たちの現実」と呼んでいるだけだと思う。特に「人間の創造物」に囲まれた中で生きていると、区別しにくくなるのでそうなる。

いくら科学で「証明」されても、ヒトの頭が認識した現実は、実際の物質的現実と同じではなく、あくまで「私たちの脳がそうであろうと認識した現実」だ。小説やフィクションが空想というのは誰もが納得できると思うが、知識や学問と呼ばれて絶対視されるものであっても、ヒトの頭で認識されたものは全てが、現実の物質世界との差異が少ないだけの「空想」に過ぎないと思っている。

この「空想」が、現実世界そのものと同じではないことは、当たり前のことのようだけれども、一般にはかなり混同されている気がする。

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