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4月18日のこと。

今日は昨晩いきなりワンオペになり、夜遅くに帰宅しごそごそと階下で動く家族の物音と、息子の夜泣きでうまく眠れず、7時過ぎまで寝ていた。

そのまま寝ているわけにはいかない。学校に出発する娘を送り、今日の取材の準備をする。自分が企画している特集の取材、最後の一人。いつもお会いしているとはいえ、企画のきっかけとなった人でもあり、いいお話が聞けるのはもうわかっているけれど、やっぱり緊張していた。それとともに、今日もワンオペだということがずっしりと肩に重い。4月は本当に休みなく、ずっと走っていた気がする。うまく言葉が出てこなくなったり、ものを落とすことも増えて、ずいぶんと疲れているんだなと自分でもわかっている。けれど、この取材だけはきちんと終えたかった。

軽く部屋を片付け、食器洗い機を回して、軽く化粧をする。化粧映えはしないし、そこまでこだわらないけれど、やっぱり自分のテンションをあげるという意味でも、若い頃みたいに気合の入ったものではないけれど、少しでも日焼け止めやファンデーションを塗り、眉毛を整え、まつ毛をあげて美容液を塗っておくだけでも気分は上がる。

服を着替えて、朝ごはんを食べる。昨日の残りのスープに、納豆ご飯、いつも通り。

自転車に乗る。この頃腰の様子がおかしいと思ったら、ハンドルが曲がっていて、それによって力が変に入っていたことを知る。修理に出さなければと思う。

いつもより少し離れた駅まで自転車を漕ぐ。木香薔薇が満開で、八重桜も、もったりとした花を咲かせていて、いい季節だなと思う。
学生時代に毎日使っていた路線に乗る。白と青の電車にゆられる。銀の時もある。
最寄りの路線よりもゆっくりとしていて、時間帯もあってか席に座ってうとうととする。「正座をすると膝が悪くなってねぇ」「そうですか、うちの母も正座の仕事で」「人工関節っていうのも手術できるっていうんだけど、そうすると正座はできないんですってねぇ」「O脚だと膝にくるって」「いっきにねぇ。こう、きちゃうのよね、生徒さんは、椅子に座ってもいいって言ってくれてるんだけれど」

隣と目の前の人の会話をぼんやりと聞きながら、「買われた男」という配信のドラマを見ていた。好きな俳優さん目当てで見ようと思っていたら、するりとかわされたみたいに丁寧な作品で驚いた。
「なぜ神様は、人に愛という機能を与えたのだろう」というセリフが印象的だった。かっこいい俳優さんよりも、話ごとに出てくる女性にフューチャーしているドラマの作りがとても丁寧で、女優さんの演技も良くて、いいなと思った。愛という機能を与えたのは、誰なんだろう。

気づいたら目的地の駅で、まだだいぶ早かったので駅前のカフェに入る。取材のメモをおさらいしておく。カフェオレは飲みきれないまま、店を出た。

取材はとても順調で、とても良い話がたくさん聞けた。これをテープおこししてくれる編集部の方の苦労を思った。そしてこれを切らなければならないというのも、なかなかな作業だろうな、とも。でも本当に企画して良かったと思ったし、こうして無理くりにでもスケジュールを空け、取材に同行できたことは、いい経験になった、というよりも、別の世界をのぞかせてもらえているようでやっぱりうれしかった。

電車に乗って、寄り道をした。かつて大きな木があったところは工事中で、新たなビルが建つようだった。本屋さんに寄って、読んだ本の続きと、くどうれいんさんの文庫本を買った。

駅までの道で、やっぱり「愛という機能って必要なんだろうか、愛があるから寂しい」と思ってしまった。私は、自分の子供たちに対する愛はあってほしい、隣人愛的な愛もあってほしいけれど、恋愛感情のようなあの愛はもういらないなと思った。学生時代に通った道、見ていた川、あの時の私は同じ川を見ながら、「誰を傷つけたって構わない」とさえ思っていた。

行きよりもはるかに空いている電車に乗った。最寄り駅に着いて、まだ雨が降っていないことに安堵した。もうすぐにでもぱらりと来そうな空を見上げて、自転車を駐輪場から出した。駐車料金は120円だった。

そのままぐるっと道を回って、自転車屋さんに入る。ハンドルを見せると、確かに曲がっていますね、倒しましたかね、といわれた。20分くらいあれば、というので商業施設の中をぐるりと回った。

靴のセールを除いて試着したけれど、しっくりこなくて棚に戻した。黒いコンバースのハイカット。歩き回るには底が薄いなんて、高校生の頃は考えもしなかった。

マクドナルドに入って、日記を書こうとする。持ち帰り用のハッピーセット二つと一緒に頼んだマックシェイクのストロベリーは甘ったるく、昔飲んでから十数年は軽く経っているはずなのにいまだにうまく吸えなかった。Sサイズで十分で、あとまた十数年は飲まなくても生きていけるような気がした。

自転車はうまく直してもらえて、「点検なので料金はいらないです」と言われて自転車を押して外に出た。手元のブレーキが油ですこし滑ったけれど、そのまま2.6キロ離れた幼稚園に向かおうか、帰ろうか少し悩んでそのまま漕ぎ出して、途中で幼稚園に向かうことを決めた。

自転車は漕げば漕いだだけ進むのがいい。何か考えて足を止めてしまうよりも、とりあえず足を動かせば進むのがいい。古い団地の向かいに、ピカピカの団地が建っていた。ニュータウンと呼ばれ、高齢化と少子化も相まって歯抜けになってしまった団地たち、ピカピカになったら、何か変わるんだろうか。夫に「エレベーターをつけたんじゃないかな」と言われたことを思い出して、目を凝らしたけれどやっぱり階段は外についていて、エレベーターがあるかどうかはわからなかった。

幼稚園に着いて新しい担任の先生と挨拶をした。今年もよろしくおねがいします。
迎えに行った息子は靴をドロドロにしてしまったとバツの悪そうな顔をしていたけれど、怒られないとわかるとすぐにニコニコして園庭を走っていた。事務の先生にも挨拶をして、打刻をして帰る。スポーツ教室に娘と同じ学年の卒園したこどもたちがきていて、付き添いの親御さんに会釈をする。卒園後に作られたグループラインの通知が多くて、半年ほどでそっと退室した。グループというのがとことん向いていないのは、親になったくらいじゃ変わらないと思う。

家について息子が絵を描いていた。レンゲ摘みに行ったけれど、水の生き物をとりたくなってレンゲを全て落としてしまった息子。レンゲを楽しみにしていた娘にぐちぐちと言われていた昨日。画用紙いっぱいにレンゲの花、よくかけていた。

娘が帰宅する時間になった頃、雲行きがますます怪しいので傘を持って外に出る。娘を迎えて、ちょうど犬の散歩をしているご近所さんと話す。とてもかわいい。ふわふわの茶色のやわらかな毛、はしゃいで早くなっている鼓動。アキちゃんというその犬は、去年やってきて、吠えずにひたすらはしゃいでいる。人を、悪いものだと全く思っていない澄んだ瞳がうつくしくて、いつも泣きたくなるくらい綺麗だと思う。

アキちゃんのお母さんがとっても優しいのだけれど
『アキちゃん〜いいこだね〜!!』と息子と娘と私の三人で撫でてぺろぺろされてたら、
『二人もほんといいこだよ〜!!あなたたちがいいこなのよ〜!お母さんもがんばってる!』と娘と息子をよしよししてくれて、本当にうれしかった。アキちゃんの家族に幸多かれとこっそり祈った。

アキちゃんが来てから、ご近所さん同士がアキちゃんの散歩を心待ちにしているし、会話も増えて、なんだかやさしい。

隣のおばあちゃんにも『あれまぁ!こんなに大きくなってー!』と言われ、筍のように成長している子どもたち。

娘の顔を見た時、大きくおでこから頬にかけて一筋の痛々しい赤い傷がついていて、心底驚いたのだけれど、遊んでいて木の枝で引っ掛けてしまったという。帰りの時間が迫っていたから、先生にはいえなかったと。手洗いうがいのついでに洗っておいた。痛くはもうないというので、傷は浅そうでほっとした。顔の怪我はいつだって派手に血が出る。毛細血管が集まっているから、そういうものなのだと同僚が言っていた。

夫が遅いので三人で夕食、私は片付けや洗った食器を片付けながら二人の食べるのを見ていた。

ふと時計を見て帰宅時間がはやいとこんなにゆっくりできるのかと驚く。いつも夫の仕事時間に合わせて息子は帰ってきているけれど、今日はアイロンビーズをしたり、ごはんをたべて、おふろにはいって、アニメを一人一つずつ見ても、きちんと歯磨きまで済ませて、本を二冊読めた。いつも寝る時間を守りたいとせかしているけれど、彼らにとって必要な時間は、本当はもう少し多いのかもしれない。本を読んだら満足したのか、部屋を暗くして布団にばたんと倒れたら、そのまま寝てしまっていた。やわらかな髪の毛、満ち満ちている生命の塊、いいこ、いいこ。

娘の同級生のお母さんからライン。娘さんが休んでいたけれど、胃腸炎だったそうで、気管支に入って気管支炎になってしまっていたそう。大変だ。こういうラインは全く苦ではない。グループうんぬんより、同級生の親であろうとなかろうと、好きな人ならいいのであると自分の現金さにちょっと呆れる。

ご近所さんからもらった筍をせっせと水煮して、友人にもお裾分けをしたら、筍ご飯おいしかったですとメッセージが来ていて嬉しくなる。お礼に手作りのパンをもらった。まったく別分野の職人さんなのに、こんなにおいしくできるのはすごいとおもうくらいおいしいパンだった。素朴な、おいしい玄米ごはんみたいなパン。
うちにある最後の筍を電気圧力鍋で煮物にした。鶏と、にんじんと、干し椎茸、ほぼ筍が主役の煮物は、とても美味しくて、麦ご飯をチンしてたべて、パンとも食べた。おいしかった。

毎年たけのこをもらっていて、新鮮だからか土がいいのか美味しい。祖母の家に竹山があって、ちいさいころから筍を捌いたり煮たりするのを間近で見てきたからまったく抵抗がなかったけれど、なかなかに特殊な環境だなと思う。革から筍の身を外す瞬間がとても好きだ。ぷりぷりぷりっと生まれるように、きれいにでてくる。

今年はあくぬきをいろいろ工夫したので、いつもよりもずっと美味しかった。重曹を使うのはかなり楽だし、とても良かったので継続したい。たくさん食べると喉の奥がイガイガしたりしていたのだけれど、今年はそれもなかった。見えないけれど確かに抜けていた、アクよ、さようなら。

そんなこんなを思っていたら、夫が帰宅したので娘を2階に運んでもらい、こうして日記を書いて今日もおしまい。
普通の日、でもいろいろあったなと、こうして文字にするとわかるから日記は好き。とりとめのない日々。ただのいちにち。だいじないちにち。

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