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霜月・11月18日のこと。

朝起きて、まだ眠りたいと想うほどの寒さにぷるぷるとした。隣の娘はぬくくて、ぎゅうとすると離れ難い。6時のアラームを止めて、ひんやりとした空気の中はれぼったい瞼をなんとか押し上げようとする。流石にこの一週間は、ハードだったね、と思う。

改めて手帳を見ると最後に仕事に行ったのは先週の土曜日だったから、一週間ぶりの仕事だ。朝食を準備して、白ごはんと温めたお味噌汁、それに目玉焼きを食べて出発した。空気が凛と澄んで、吐く息は白く、自転車のハンドルを握る手がじんとかじかむ。

冬が、冬が来たのだ。

小さな川を渡る時、何羽もの白い鷺が頭上を通り過ぎた。空は透明な青さだった。
電車で大きな川を渡るたびに、水面に朝陽が反射して、きらきら、きらら。ピカピカした豪華なイルミネーションよりも、ずっと生きている光に、うっとりとする。

今日の仕事は溜まりに溜まったものもある上に、新たな対応がこれでもか!と乗ってきて、やるべき仕事に取り掛かる頃にはぐったりとして、コーヒーを啜りながら計画を作った。気がつけばもう11月も半ばを過ぎて、本当にどこに月日を落としてきてしまったんだろうと首を傾げたくなる。

仕事場を出たのはもうとっぷり日もくれてからで、夏の頃はまだ明るさをとどめていたのに、夜が来るのが早くなって、これから夜が優勢ですね、なんて思いながら寒さに首を縮めるようにして足を早めた。夏には茹だる暑さに飛び込んだ書店に、こんどは寒さから逃れるようにしてまた飛び込む。ふっと緩んだ空気、クリスマスが近づいているからか、みんな少しわさわさしている。いや、まだ早いか。

再び外に出ると大きなクリスマスツリーや、赤い大きな汽車のオブジェの前でたくさんの親子が写真を撮っている。福島県の催事の賑やかさも相まって、ここは毎週末お祭りのようだな、と眺めながら立ち止まらずに歩いた。

夜ご飯を食べてから帰ることを、朝家族に伝えてから家を出た。久しぶりに駅の中を突っ切って、桉田餃子に向かう。途中ふと思い立ってKOHOROに寄る。今日は福島の作家さんの二人展だった。どこかで発掘されたような懐かしいガラスの塊に目がいく。今日のような寒い日に連想したのは、幼い頃の冬がやってきた朝、ワクワクしながら外に出て確かめた、水たまりに張った薄白の氷。ちょっと色がついていて、冷たさをたたえた、冷蔵後ではできない霜柱の白だった。

どれも良かった。説明書きを見ると、古代メソポタミア文明の頃生み出された製法と同じ製法で作られているという。古代メソポタミア‥遙か遙か昔のガラス。ここにあるガラスたちも、いつかどこかで出土されたりなんかして。と思い浮かべた。

何かの建設のために掘り起こされた、土の中から見つけられたガラスの塊が、手に乗せられて光を浴びる。なんてうつくしいんだろうと、その人は言ってくれるだろうか。

こころがぷるぷると振動する。手のひらにすっぽりおさまるくらいの、シャーレのようなかたちのガラスを一つ選んだ。薄い白に緑が透けて見える。ところどころ濃い、ところどころ薄い。

お店をでて、桉田餃子に向かった。ここの店舗はどうしてかいつも空いていて、すぐ食べられるのでとてもありがたい。水餃子定食にしようと思って席に座ると、ラゲーライスのイラストが目の前に貼ってあり、人気!と書いてある。そうだ、仕事場を出る時同僚に「ラゲーライス、おすすめですよ!」と言われたんだった。桉田餃子に通うようになってもうすぐ4年なのに、ずっと同じメニューを食べていたことに気づく。冒険はしない主義だけれど、今日はすんなりとラゲーライス定食にした。青菜の炒め物と、ラゲーライスと、海藻湯。

びっくりするほどおいしくて、するすると入っていった。八角の香る、ぷりっとしたキクラゲ、柔らかにほろほろと崩れた豚肉に玉ねぎ、めんまのような見た目なのにとろとろとしたちょっと変わった名前の野菜。青菜の炒め物には卓上の豆豉ミックスと黒酢をかける。風味ってこんなに変わるのかと楽しんで食べる。どれもこれも美味しくて、これは味わってほしいなと思いながらいま思い出している。いつも忘れてしまうけれど、ラゲーライスのラゲは、キクラゲのラゲらしい。うそみたいな、ほんとの話。

食べ終わって、体が喜んでいるのを感じる。ふわふわとして不安や、後悔も、だんだんお腹がいっぱいになって悩めなくなった。クセのある仙草ゼリーも恋しくなって追加で注文して、ぷるんぷるんを楽しんだ。

帰り道はやっぱり寒かったけれど、思い出すとお腹があったかくなる。
仕事をもりもりするとき、わたしはむちむちと太った芋虫を思い浮かべる。もりもりと葉を食べて、もりもりとウンチをする、そんな芋虫。

帰る頃にはくったりしてなお、仕事のピリッとした感じを引きずっていた。仕事をしなければのっぺりして、仕事をしすぎるとぴりりと辛い。ちょうど良い塩梅を探したいと思うし、自分ができるからと人に強要するのもちがうな、と夜一人で少し思った。

人は、過去=変えられないこと、未来=わからないこと、他人=わからないし+変えられないこと
の三つについてを考えると疲れてしまうのだとSNSの投稿で見て、なるほどな、と思う。そして悩んで疲れている時、「わたしはいま、それらを考えているんだ」と自覚するだけでも軽くなるとも。とてもためになった。今この瞬間を味わうことに集中している時、とても楽だと確かに気づいた。むずかしいけれどおぼえておくと、きっといいこと。でもやっぱり、忘れてしまいそうなことを書き記しておく。

外は刺激たっぷりで、楽しくてくたびれて、また家に帰る。

真っ暗なオニキスのようなぷるんぷるんのゼリーの写真を見返して、やっぱり美味しかった。美味しいものは美しい、って思った日。

追記備忘録

今日の月は、人が乗って釣り糸を垂らしていそうなくらいはっきりと美しく空に浮かんでいて、眠る直前に思い出して、いい月だったな。
あたたかくして、ねむろう。



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