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雨降り風邪の日と宝石の国。

一昨日息子が熱を出しました。一時は39.2度というすごい熱でした。受診したところ、「うーん、何も流行ってないしなぁ、溶連菌でもなさそうだなぁ、とりあえず解熱剤出しておきますね」とのこと。なかなか下がりきらず38.5度。それでも食欲はあるしよく眠っています。新学期、私も忙しかったので預かりたくさん入れちゃって、休日は遊ばせたい夫が動物園に連れて行ったり、疲れが出たかなぁ。
今朝も朝起きてひまだひまだと騒いで、おしゃべりをばーっとしたら疲れたのかまた眠っています。すこやか。雨降りでしっとりしとした外と、エアコンの音。時折鳥たちが鳴いています。鶯、青啄木鳥、鵯。浜卯木がよく咲いていて、八重桜はもう散ってしまった。初夏に向かっているというのに、まだ冷えますが、黄砂を叩き落としてくれた春の雨には感謝しかありません。おかげで娘もよく夜眠り、荒れた肌もよくなってきたようです。

ワニと寝てる。

さて、家に籠って二日目。炊事と掃除とお世話を一日中ずーっとやっていて、私の存在とは…?みたいにもなりましたが、うなされて泣きそうになりながら起きた息子が、私が駆け寄るとホッとした顔になってまた抱き抱えられ横になって、ゆるゆると眠りに落ちて溶けてゆくのをみると、「母」という役割「保護者」という役割を果たせているのはすごいことだなぁと思いました。
もう無理をせず、やらなくていいことは後回しにして、ゆるゆると過ごしています。自分ではどうにもならない(病院とかにはつれていけるけれど)子供の病気のとき、わたしはドキドキしてしまいます。なんか、こう、落ち着かない。自分の運命ならばどうとでも良いと思ってしまう節があるけれど、私の体から生まれ落ちた人々の健やかさを願わずに、祈らずにはいられない、というか。勝手、無慈悲な運命を、退けたいと願わずにいられない。

何もしないままでいると精神的に鬱々としてくるので、『宝石の国』という漫画を読み始めました。明日最終話が掲載される雑誌が発売とのことで、4月末までアプリで無料で読めるのです。1巻を手に取った時、その絵柄と表紙の美しさにうっとりとした高校生だった私も、気がつけば二人子供がいて、いつしか読めなくなったそのお話を、子供の風邪というきっかけで読んでいることの不思議さと時の流れがストーリーとともに沁みてきました。フォスフォフィライトという主人公が、どんどん見かけも中身も変わってゆく様に、高校生の私は不安を覚えました。自我を強く意識する年頃だったというのもあると思いますが、どうにも怖くて読み進めることができませんでした。

いまだから、歳をとり、「自分」というものは内面も外見も意外に揺らぐし、確固としたものではなく、けれど純粋な部分というものはほんの一欠片でも「在る」ものなのかもしれないと分かり始めた今だからこそ、こうして作品と向き合うことができて、今このタイミングで完結に立ち会えたことを嬉しく思ったのでした。

とりあえず、明日はコンビニに走ろうと思います。アフタヌーン、売ってますように。


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