辛かった時の話を少ししようか

こんにちは、Casieの藤本です。今回は表題のとおり、ぼくが株式会社Casieを創業してから辛かった時の話をしようと思う。そもそもなぜこれを書くのかというと、先日、高校生からこんな質問を受けた。

Casieを経営してて、辛かった時や挫折しそうになった経験はありますか?その時ってどうやって乗り越えたのですか?

先日、京都市立美術工芸高校でCasieの事業についてお話させてもらった。毎年6月頃に呼んでいただいており今回で3回目となる。授業が終わり帰り支度をしている時に、一人の高校生が寄ってきてくれて、上の質問をしてくれたというわけ。確かに、授業の中では辛かった時(ハードシングス)の話はしなかった。それしちゃうと高校生たちが「アート事業で起業する」ということ自体に恐怖心を覚えてしまうんじゃないかと思ってた。なので補習的な位置付けで、このnoteにこっそりまとめます。

01 / 誰も賛同してくれない事業を始めるという強烈な不安

11年間のサラリーマン生活を終え、株式会社Casieを設立する段階になると猛烈な不安が襲ってきた。主な不安の要因は以下

  • 人生で経験したことがない起業という行為

  • 妻と3人の子供がいる

  • 共同創業者の宏輔にも妻と2人の子供がいる

  • 貯金は9万円ほど

  • 収入の保証が1つもない状況

  • アートのサブスクという市場がなく茨の道が予想される事業選択

特に収入の保証が何1つなかったことが強烈な不安要素だったかもしれない。もっと会社員時代に副業しておけばよかった。もっと会社員時代に貯金しておけばよかった。もっと会社員時代に準備をしておけばよかった・・・。

そんな自分を誰かに勇気づけてもらおうと、いろんな人にCasieの事業やサービスのプランを根気強く話続けたが、誰もが口を揃えて「それは間違っている」「この事業は成功する見込みがない」「別の事業を選択することはできないのか」の連続だった。勇気づけられるどころか余計に強烈な不安が押し寄せる結果となった。

《解》:何をやるかよりも、誰とやるか

せっかくなので、不安だけ書いても結局それをどう乗り越えたのかが伝わらないので、毎回こうした個人的な解決策(とまで呼べるか分からないけど)を紹介していくことにする。ぼくの場合は誰もが絶対に無理だと言い続けたこの事業プランを唯一「絶対にできる!」と言い続けてくれた人がいた。それが今も一緒に事業をやっている取締役共同創業者の清水宏輔だった。毎日のようにカフェに集まっては慰めてくれ、勇気づけてくれた。自分が不安に駆られた時には時間も関係なく電話をした。時には2時間を超える長電話も一緒にした。

自分にも妻子がいます、貯金だってゼロだ。翔さんが人生を賭けてずっとやりたいと思ってた事業モデルだけど、ぼくはそれに「ついていきます!」という生半可な気持ちではなく、自分が「成功させる」という覚悟を持ってる。

宏輔の言葉

11年間のサラリーマン生活の中で、清水宏輔という共同創業者と出会えたことがいちばんの財産だったと思う。起業をし、事業ドメインを選択する際にはいろんな視点がある。ただぼくの場合は何をやるかよりも、誰とやるかが何よりも大切だったんだと当時を振り返るとわかる。

02 / 作品を預かるということを軽んじてしまい、計画の4倍時間とお金が溶けた話

絵画のサブスクリプションサービスCasieのビジネスモデルは創業前からある程度は仕上がっていた。まず、アーティストの皆から作品を預けてもらわないことには何も始まらない。早速アーティストさん巡りを始め、募集用のWebサイトも作った。当初の予定では6ヶ月で1,000作品を預けてもらう計画だったが、6ヶ月後に預けていただいた作品総数は80点ほど・・・。進捗率8%という絶望的な結果に終わった。サブスクリプションサービスを開始するには最低でも1,000作品ないとユーザー体験価値を作れないと考えていたため、「とにかく、1,000作品預けてもらうまで、サービスのリリースをは見送る」という決断をしてしまった。結果的には1,000作品を預けていただくのに2年の歳月を要した。計画の4倍の時間だ。時間だけならまだしも、資金も、何もかもが4倍溶けた。

《解》:恥ずかしいことを曝け出したら道が開き始めた

こんな状況からどうやって、アーティストの皆さんから作品をここまで大量に預かれるようになったんですか?

これよく聞かれる質問の1つ。これの解決にはクリーンヒットしたマーケティング施策みたいなものがあるわけではない。まず最初に数名のアーティストさんが怪しみながらも作品を持って倉庫に来てくるようになった。しかしぼくは「諸事情があって倉庫内をご覧いただくことはできません」とか言って近くのカフェでお話をさせてもらっていたのだが、当然倉庫を見せてもらわないことには大切な作品を預けることはできないと断られ続けた。当時は倉庫といっても素人がDIYで作った棚がいくつか並んでいるだけで、保管作品はゼロに等しい。こんな状況をアーティストの皆様にお見せする勇気が単純になかった。しかしこのままではずっと断られ続けるので、勇気を出して徐々に不細工な保管倉庫をアーティストの皆さんに見てもらうようにした。すると、一部のアーティストさんが「こんな状態じゃダメだ。もっと棚はこうするべきでは?」とアドバイスをしてくれるようになった。更には「保管倉庫を作るの一緒に手伝いましょうか?」と手を挙げてくれる方々も出てくるようになり、創業当初の保管倉庫をアーティストの皆さんと一緒に作り始めた。これを機に、徐々にアーティストさんがアーティストさんを紹介してくれる輪が広がり始めた。「まだまだ駆け出しだけど、Casieはもしかしたらやってくれるかもしれないよ」という感じで。

そうしてもう1つの出来事が、ぼくと父親が過ごした11年間の物語を創業ストーリーという形で会社概要に記載するというものだった。胸を張って語れる昔話ではなかったので公開するのをすごく躊躇った。ぼくら家族(父、母、ぼく、妹)にとっては決して輝かしい過去ではなく、辛い思い出だったわけだし。だけどアーティストの皆さんからはこの昔話が強い起業の原体験として評価されるようになってきた。「アーティストの協力を更に募るなら、この物語を公開しよう!」という強い勧めもあり、本当に恥ずかしくて嫌がっていたがこれを公開することにした。今でも同じ内容がCasieの会社概要ページに記載されている。こうした2つの出来事が一部のアーティストの皆様に届き始め、何の成果もまだ出せていない出していぼくたちに、期待を込めて熱いメッセージと一緒に続々と作品が届き始めるようになった。

03 / お金の悩みから解放されたことは1日もない

「お金に困るのが嫌なら、儲かる事業ドメインを選択しなさい」と声を大にして伝えたい。確実に儲かる事業は存在しないかもしれないけど、儲かりやすいってあるよね?例えそれが本当にやりたいことでなくても、お金に困りたくなければ迷わずそれを選びなさい。株式会社という資本主義の世界で勝負すると決めた以上、「夢はあるんです!でもお金がないんです!」では押し通せない。この辺りは辛く厳しい世間の風当たりを覚悟しないといけないし、その責任や強烈なプレッシャーを背負うのは社長たった1人です。不眠症になる、胃腸炎になる、原因不明の腹痛に数ヶ月間襲われる、パニック障害と診断される、身内や後輩の両親に頭を下げてお金を借り信用も信頼も全て失っていく、幼稚園バスの料金が払えず自転車で毎日送迎する、最愛の妻に「どうしてくれるん?」と圧力をかけられる、銀行口座をロックされ身動きが取れなくなる、毎日支払い催促の電話がかかってくる、血判をあらゆる誓約書に推させられる(正確には拇印)。。。これらはぼくが実際に経験した一部です、もっとハードシングスを経験した社長もたくさんいます。

《解》:狂人期間を設ける

これの解を一番期待されそうな気はするけど、その期待を超えることはできない。融資や増資のテクニック論は専門書籍やスタートアップ界隈が輝かしい資金調達物語をnoteやYoutubeで公開されているのでそちらを参考にしてもらった方がいい。お金の問題については第8期目に入ったのですがお恥ずかしい限りで、1日たりとも抜け出したことがない。ということは解決してないからアカンやん!というのが現実ですが、1つの考え方みたいなものをお伝えしてみようかと思う。

  • 神様が絶対大丈夫って言ってる!って言い聞かせる(ジャンヌダルクのように本気で信じる)

  • とにかく早めに動く、早すぎるくらいで丁度いい

  • プランは複数持っておく、プランA、プランB、プランC・・・

  • 資金調達中は外部の声で自分のメンタルが左右されないように「狂人期間」と割り切った人格形成をまとう(家庭を持ってる人は要注意)

  • 会う人、会う人に「お金ちょうだい」って言う(狂人期間に準ずる)

最後に超綺麗事を本気で書きますが、「徳を積む事業」「人を幸せにする事業」「ありがとうがたくさん集まる事業」は続けているうちに後からお金はついてくると真剣に思ってる。

04 / 外注先に恵まれず大損失を被った

どんどんお金がなくなっていく中でも、一番お金を使ったのがWebサービスの開発だった。当時Casie創業メンバーの中にエンジニアはおらず、Webサービスの開発はすべてとある外注先に依存していた。創業融資で集めた資金の約45%を全部ここに支払っていた。しかし、1ヶ月、2ヶ月が経過しても先方からは何も上がってこない状況が続いた。もう間もなく目標としていた預かり作品点数1,000点に到達するにも関わらず、一向にWebサービス開発が進んでいない。焦りを感じたぼくは単刀直入に「いつできるの?どこまでできてるの?」と聞いてみたところ、A3用紙のペラ1枚が渡され、「こんなイメージでデザインを作っています」と出されたのだけど、これがどうしようもなく我々のイメージと乖離していた。少し感情的になってしまったぼくはここで外注先に対して依頼自体の取り下げを請求した。すると、先方から「いただいたお金は返せません。これまでの稼働に全て使いました」と来た。少しの間戦ったものの、長期戦が予想された。こんな戦いに自分たちのエネルギーを使うのはコストが合わない。もう諦めよう、お金は全額返ってこなかった。

《解》:インハウスで全部やっていく覚悟を持つ

前職が経営コンサルティング会社だったこともあり、ディレクション的な仕事を得意としてしまっていた。ある意味Casieの事業立ち上げ自体、どこか他人事になってしまっていたのかもしれない。こうしたコンサル脳を完全に排除し、事業家脳に切り替えないといけないのだと猛反省した。ここからは全てインハウスでやっていく!初めてのエンジニア採用を行い、素晴らしいメンバーと出会うことができた。作品保管システムも外部のツールに依存することなくゼロからオリジナルで構築した。オペレーション面もそうだ、物流フロー、撮影フロー、BOX開発全てオリジナルで構築した。お金と時間は更にかかったものの、今となってはこうしてインハウスで構築した全ての仕組みがCasieの独自固有の長所として輝いている。

05 / 全然ユーザーに使ってもらえない、全く売上伸びない

2019年の1月14日、晴れてアートのサブスクリプションサービスCasieはリリースされた。当時の創業メンバーみんなでワクワクドキドキしながらモニターに映し出されるGoogleアナリティクスのリアルタイムを眺めた。・・・・がしかし、一向に誰一人としてアクセスが来ない。1時間、2時間と時間だけが過ぎていき、リリース当日の新規注文は自分の母親一人だけだった。そこから何日経ってもサービスを使ってくれるユーザーは増えない。数ヶ月が経過しても様子は変わらなかった。このままではまずいと、ぼくたちはあらゆる手段を講じた。広告、PR、インフルエンサー、POPUP出店、協業。何をやっても思う成果が出なかったので、百戦錬磨のマーケティング集団に高額なフィーをお支払いしてマーケティング運用全般を任せたりもしたが、やっぱりこれもダメだった。挙げ句の果てには「藤本さん、これはやっぱりマーケット自体が存在しないので、何をやっても難しいと思います」とまでプロ集団に言われてしまった。

新規ユーザーさんとの出会いを増やすことに力を入れすぎてしまい、サービス品質自体のアップデートに手が回らなかった。そのため数少ない利用ユーザーの皆様が次々と解約されていく。継続率が肝なビジネスモデルにも関わらず、月間の解約率は50%を超えていた。もう何をやっても上手くいかない、清水と戦略の見直し会議をするたびに、「結論、これやっぱ無理なんじゃない?」に着地することを繰り返す。事業計画通りに売上は成長すると見込んでいたので、物流設備、人員、管理システム等への先行投資は継続してたため、毎月の赤字幅はどんどん広がっていく状況だった。

《解》:もう普通のことをやるのやめよう

市場がない以上、他社の成功事例や巷で話題になっている手法はことごとくCasieでは通用しないということを痛感した。ここでぼくらは2つの意思決定をした。

  1. 成長よりも継続を重視する
    ぼくらのミッションは「表現者とともに、未来の市場を切り拓く」である。成長は当然諦めないし、そのためのチャレンジは積極的に行う。しかしCasieが一番避けなければいけないのが「サービス終了」だ。会社やサービス(事業)が存続し続ける限り、ミッション実現に向けた地道な努力は続けられる。文化形成にいくら時間がかかろうとも、その時を起こすまで我々は存続し続けるべきだ。

  2. 普通のやり方は全部疑う
    X(旧Twitter)やビジネス書に書かれているノウハウを全部疑ってかかるようにした。もう踊らさられない。ぼくたちCasieだからこそできること、やってみるべきことを意思決定の最優先候補に置くようにした。これがValuesに掲げた「意味から逆算する」「声のする方に進化する」「やりきる」の3つだった。

マンションデベロッパーさんとのプロジェクト事業を中心としたBtoBtoCの流通や、海外への作品流通の加速などはこの意思決定以降に生まれ、成果として大きく貢献してくれた。

まとめ

今回は5つだけ過去の辛かった経験を紹介してみた。当然これ以上にも辛い経験はたくさんあるんだけど、これは決してぼくだけの話じゃないと思う。多くの起業家仲間からもたくさんの辛い経験を聞く。それでも事業を続けるのはきっと、100の辛いことがあっても、たった1つの嬉しいことが1,000倍に感じるからだと思う。あとはミッションに対するコミットでしかない。

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