わたしとAce

ご無沙汰しております。
ブログを再開したいと思っていたものの筆が進まなかったこの頃ですが、今週はエース・ウィークということで性自認について綴ろうと思います。

突然ですが、ブログを更新していなかった空白期間に何をしていたかというと、タイBLに夢中になっていました。
それはもう衝撃的な出会いで、入国規制が緩和されてからはタイランドパス片手に半年ペースで渡泰するほど人生に大きな変化をもたらしたのですが、ジェンダーに関心を持つようになったのもタイBLに出会ってからでした。

BLといえば、日本では1970年代から商業BLを中心にカルチャーが根付いていますが、タイでも新進気鋭な制作陣らによっていろんなジャンルのドラマ作品を見ることができます。
そこではゲイやバイセクシュアル、パンセクシュアル、トランスジェンダーなど多種多様なキャラクターが登場するのですが、そもそもBLというエンタメは自身の嗜好(癖)をまなざすもの。
当時のタイ沼には各界隈から勉強熱心な精鋭オタクが集まってきていたこともあり、文献や論文にあたりながらジェンダーについて理解を深めていきました。

性が流動的なものとして描かれていたり、性自認について葛藤するフェーズを超えていたりする、ジェンダー先進的なタイBLを見てエンパワメントされるのはなぜだろう?
異性愛ロマンスは見るのがしんどいのに、タイBLが楽しく見れるのはなぜだろう?
と自分の嗜好と向き合うなかで、Aスペクトラムという性的指向を知り心が軽くなったあの時間は、今でも忘れられません。

わたしは性愛的に人に惹かれることが少なく、ゆえに恋愛経験もあまりありません。
この世界は思っている以上にシスヘテロ中心の異性愛規範に溢れていて、
・恋愛をしていないと未熟だと思われる。
・新しいコミュニティに属するたびに恋愛経験を問われる。
・手っ取り早いコミュニケーションの常套手段として、恋愛にまつわる話が多く持ち出される。
・恋愛できないのは「理想が高いから」。
・さらにアイドルオタクだと「理想と現実の見分けがついていないから」。
・映画やドラマの登場人物が必ず恋愛している。
など、日常の些細と思われるようなことにも生きづらさを感じてきました。
そんな中でAスペクトラムという性自認があること、同じような性的指向の人が世界にいることを知り、自分を守るマントを手に入れたような気持ちになりました。

ようやく手に入れたマント。
身に纏えばありのままの自分を肯定できるようになるかもしれないと思った矢先「それって言い訳じゃないの?」と言われたこともあります。
だけど知ってほしいのは、他者をラベリングしてはならないということ。
そしてマント(ラベリング)は自分を守るためのものであって、脱いだり着たりするのは自由だということです。

性はグラデーションのように、環境や出会う人・ものによって揺らぐものだと思っています。
あくまで流動的なものなのだから、いま自分自身を肯定できるマントを着ればいいと思うんです。
この、マントを纏って自分を守るという感覚は当事者にしかわからないかもしれませんが、共感できなかったらせめて「そのマント素敵だね」と言ってくれるだけでいいんです。
だってこの世界はすでに異性愛を称賛するものばかりで溢れているから。

そして本記事でも、同じような人間がこの世界にいるのだと、誰かひとりにでも気づいてもらえたら嬉しく思います。

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