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死んだ父からのバトンタッチ。 最後まで気になっていたのは母のことでした。

4年前の投稿を編集しました。 当時はアメブロ断筆時代。 


2017年のストーリーを大幅に編集しました。 


父親が他界してから、3ヶ月が経ちました。

写真は若かりし頃の両親です。 

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自分の足の問題もあるので不自由さに気を取られり、

様々な要因で、父のことを思い出すこともなかったです。 

病床でこちらが一方的に喋って

父が目を開けて反応して

頷くことや少し手を動かすことがありました。 


耳は聞こえているのはわかりました。 

脳細胞が機能してたのかどうかは

意識レベルではわからないです。 

父に約束したことがあります。

父親が生前に気にしていた唯一のことは

長年連れ添った認知症を患っている母のことでした。 

「わしは先に逝けないんや。

お母さんがあんな風になってしもうたから、

わしが最後まで面倒見てやらないとあかん。まだ死ねへんわ。」

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(2021年2月現在、母は一切処方箋も必要なく、施設の食事と健康サプリメントを飲んでいるだけで何の疾患もなくたつの市の施設で暮らしています。)

母が毎日、施設の部屋の中の厠を汚すので

「毎日便器の掃除をしているんや。」

と、なんども父は語っていました。 

「散々、ばあさんを苦しめたんだから、

そんだけバチが当たったんやし、

ありがたく便所掃除ぐらいしたれや。 」


と小生は言っていた。

「まあ、ばあちゃんが生きている間は

しゃーないのう。ありがたいこっちゃ」

死ぬ寸前まで、母のことを気になっていた父は、

残念ながら

病に倒れて母より先に他界してしまいました。 

小生が最後の元気な父親にあったのが

2016年9月10日でした。

翌日不慮の事故を起こしてしまい、

小生が姫路の中央病院に入ったのでしたww。

アメリカで療養していたため、日本に来たのが

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2016年11月末。 

軽い症状と思っていたら

予想をはるかに超えていて

覇気は消え失せていました。 

車椅子に乗った父が

最後に声を出して反応したのが

12月5日でした。 

言葉になりませんでした。 


その数日後、

昏睡状態になりベッドに移動しました。 

2016年12月19日に死亡しましたが、

それまでの2週間はほぼ毎日

姫路市駅前のホテルに滞在しながら、

施設に通いました。

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医者の診断では

年を越えるのは無理だろうと

宣言されたのです。 

父親が一番気がかりだったことを

少しでも意識のあるうちに伝えねばと思い、

「ばあちゃんのことは心配するな。 

わしが面倒見るから。 

爺さんは安心して死んでも大丈夫や。」 


と、死後の手続きをどうするかを伝えました。 

つまり、

父からバトンタッチして、

母の面倒をみるということです。 

母のことを語っていた時は、

父親の目はパッチリと開いて

こちらを見ていたのが忘れられません。 

自分のことしか考えてなかった父でしたが、

少しは気になっていたのかも知れません。  

元気な時は、好き放題やり、

全く家にいなくて、

母をどこにも旅行に

連れて行ったこともなく、

自分の趣味のみを追求し、

70歳でキングレコードから

デビューして死ぬ数ヶ月前まで

歌を愛していました。 

家には金を入れず

自分の趣味の歌手業には

金を注ぎ込み多くの詐欺師の被害にあい、

マネジャーというおばあさんが

現れてスポンサーとして

父が死ぬ2年前まで

金を出してくれたから持ちましたが、、


小生からみて母を

精神的に随分と

痛めつけて苦しめていました。


結果、認知症となって

逃げるしかなかったのかもしれません。 

死ぬ前数年間は、

夫婦の仲が良くなりましたが、

それまではよく夫婦を

やっていたなあと思うぐらいの仲でした。


小生も最後の数年間は

腹を割ってなんでも話が

できたことを幸運に思っています。  

先週、母の施設代の請求がきました。 


母の年金だけでは到底払えません。 

父のせめてもの

母への恩返しは

死亡するまで結婚していた

ことかもしれません。 

遺族厚生年金が支給されるため、

施設代を払うのに助かります。

今頃、父の魂は

どこをさまよっているのか知りませんが、

父との約束を果たすためにも、

物理的に

いつも母と一緒にいることはできないですが、

母が生きている限りは母を見守ります。 

父の遺言はボイスでは

最後まで聞くことはなかったですが、


「母を最後まで見てやってくれよ。」


だったのでしょう。  

これからも、定期的に日本に行くことは間違いないです。 

父の最後の思いのバトンを受け取った限り、最後まで成就します。

ありがたき幸せ。 

合掌。 

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写真は父が大事に保管していた祖父の写真です。


追記、

2020年3月にパンデミックと認証された

武漢肺炎ウイルスは渡航を困難にしています。 


緊急事態になってもパスポートを先週

アメリカのState Department  に送付して

更新手続き中なので、今は国外に出れません。 


武漢肺炎ウイルスが終息の気配を見せるまで、

いつ行けるのかまだ先が見えませんが

一人っきりに放置している母の様子を

見に行ける日が来るのを待っています。   


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