何度も離婚したいと思いながらそうしなかったのは?
離婚したらどうなる?
離れて暮らすということは、お互いひとりになった時、突然倒れて亡くなったとしてもすぐに気づくことができない。いわゆる孤独死してしまう可能性が高まるということでもある。
それだけでなく、体調不良や病気の時も寄り添うことが難しくなる。
生活面でも、老後、支え合うこともできなくなる
当然経済的な問題もある
でもでも。。。。。。。
婚姻関係を続けていて一緒に暮らしている私たちなのに、上記のこと全部、願っても無理なことにとうとう気づいてしまったのだ。
もうずっと前から私達の関係性はそういうこと全てが叶わないくらい破綻していたのだ。
倒れてもすぐに気づいてあげられない?
うちは一緒に住んでいたけどそうなる可能性が高かった。何より、普段のやさしさからは考えられないほど、緊急時にはぶっ飛び行動をしてきた夫
苦しさにはトドメの一撃を与え、楽しさは不安をぶつけてきて根本からぶっつぶす破壊力がある。
結婚後、体調を崩した私が、立っていられないくらい苦しくて廊下でうずくまっていた時、夫が廊下を通った。まだ新婚だった頃だ。
あ、助けてくれる?と思った瞬間、彼は私の前を何事もないかのように素通りした。
え・・・・・・?????
確かに素通りした。
私が見えなかった?
いやそんなわけない。。。
その後、彼にそのことを聞いてみた。
「どうしたらいいか分からなかったので」
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頭の中に?が増えていく。
その後、ともさかりえさん主演の自閉症の人のドラマで
「お母さんが倒れているのを見ていたのに、スルーしてしまった彼女。その後お母さんはそのまま亡くなった。。。そういうことがありえるのが自閉症」
というシーンがあった。それを見たときに背筋が凍ったのを覚えている。
そういうことは他にも何回も訪れた
その最たるものが父が他界したときのことだ。
父の体調が悪化し、「危篤」の連絡をもらった。
私は子連れで何度も帰省し、父を見舞い、心労と体力的な疲れで疲労困憊。
そんな私はどんどん余裕がなくなった。
夫は一度も
「お父さんどう?」
と聞くこともないし、一緒に帰省してくれることもなかった。
それはそれでまだいいのだ。
でも私はどんどん疲れも不安もストレスも増していく。
普段はできるだけマイナスなことを彼にぶつけないようにしていたのだが、さすがに平常心ではいられない。不機嫌になったり、ふさぎ込んだりしていた。
そんな私に彼が放った一言
「最近機嫌悪いけど何?おかしいよ」
私はその言葉に珍しく噛みついた
「父親が死にかけてるからだよ!!!!!!」
その言葉を聞いた夫は
「あ!!!!!」という顔をした。
すっかり私の父の危篤を忘れてたのだろう
平常心のときならある程度は自分の不機嫌だってコントロールできる。
ちょっと機嫌よくないかな?くらいで抑えることもできる。
でも一番支えて欲しい時にはその余裕がなくなる。
何と言っても父親が危篤なのだ。
そのことをすっかり忘れていた感じで言われた彼の言葉。
悲しくて悲しくて、、、
「もう一緒にいられない!」
私はそのまま実家に帰ろうとして子供を連れて家を飛び出した。
夫は慌ててついてきた。
私の
「父親が死にかけてるからだよ!!」の言葉を聞いて
「そうか、そうだった。これはやばいこと言ったんだ俺」
と思ったのかもしれない。
その後、私は着の身着のままで追いかけてきた彼がかわいそうになり、家に戻った。
でも私の心には深い傷が残った。
その後、父は亡くなり、葬儀を終え、帰宅した私にだめ押しの一撃。
追い討ち。。。さらに辛いことが起こる。。。
その時、夫の両親も自宅に来ていたのだが、帰宅した私に夫、姑、舅、誰ひとりお悔やみの言葉をかけてくれなかったのだ。
久しぶりに会った孫を見ておおはしゃぎで夫の書斎に孫を連れて入っていき、ワイワイ楽しそうにしている。
私はというと、、、
リビングにポツンとひとり取り残され、父を亡くした悲しみ以上の苦しさに打ちのめされていた。そして夫の両親は結局お悔やみの言葉をかけることもなく帰っていったのだ。その後、帰宅してからそのことに気づいたらしく「お悔やみの言葉もかけずにごめんね」と電話で言われた。。。
「いえいえ、、」と力なく言ったものの、私の心は凍ったままだった。。。
夫はその時どうしていたのか?
そのことに気づいてさえいなかった。
この一件は私の中で深いトラウマとなってしまった。
いざという時に支えてくれない・・・・確定。なのだ。
また、具合が悪くて廊下にうずくまっていた私の前を通り過ぎた夫だが、その一件のあと、私が体調不良を訴えると「大丈夫?」とは言わず
「俺も・・・」というようになった。
これはHSPだからなのか、私の不調が彼に移る?のか?もしくはずっと調子が悪いのを今なら言えると思うのか。
「何かお腹痛い・・」「俺も」
「熱っぽいかも」「俺も」
「なんかだるい」「俺も」
「頭痛い」「俺も」
何度も何度も体調不良のたびに「俺も」と言われ続け、、、、
私の
「調子悪いんだ~」
の言葉は空中に浮いたままになってきた。誰にもキャッチしてもらえないのだ。
それだけでなく、家族みんなで過ごすとほぼ毎回具合が悪くなる夫。最初は会社勤めしていた夫が土日の休みになると具合が悪くなる。。。と感じていた。
私としてはやっと夫が家族と過ごしてくれる時間が取れる!とおでかけの予定を立てたりするのだが、土日だけでなく家族で過ごすたびに夫は熱が出たり、お腹の調子が悪くなったり、寝込んだりするようになった。。。。
私たち家族の楽しみはそれで半減する。
最初はもちろん心配していたのだが、あまりにそれが続くと
「なぜ???」の方が強くなっていった。
そして彼に直接聞いてみたことがある。
その時に言われた言葉
「子供と過ごすだけなら全然だいじょうぶだけど・・・」
私から夫としての役割を求められたり、情緒的な交流を求められるのがストレスだったのだろう。
あの頃から彼は私と過ごすのはもう無理だったんだな。
でもでも。。。。不機嫌まで封印し、情緒的なやりとりも全部あきらめ、、そんな状態で夫婦として過ごすことなどできただろうか。。。。無理だ・・・
それ以外にも、彼はフリーズして嵐が過ぎ去るのを黙って待つということも多い。
彼の仕事がうまくいかず、収入が激減することになった
などという家庭にとっての一大事であるようなことがあると彼はどうなるのか?
「思考停止!!!」である。
当然私にはギリギリのギリギリまで話さない。
先延ばしなのだ。
なんで早く言わないんだよ~~~~
ってことが何度かあった。
私は火消しに走り回ることになる。
やっぱり一緒にいることで苦しみは倍増し、楽しみは半減してしまうのだ。
そういうことを話すと
「多かれ少なかれ、男の人ってそんなもん」
そんな声が聞こえてきそうだが、いやいや、やっぱりあまりにも情緒的な関わりができないことに絶望することが多すぎる。多かれ少なかれの多かれの斜め上を言っている。
それでも・・・・
そういうことが続いても、、、何度も何度も何度も何度も私はまた思いなおす。
平穏な日々に戻ると彼は穏やかで優しいのだ。
「やっぱり優しい人」と考え直して孤独感を心の奥底に押し込んで来たのだ。
きっと私の心の奥底には
「彼にとっても私は必要な存在であるはず」と思っていた。思い上がりだったな~~~。
だから私が彼の前から去ることを
「家族を捨てる」くらいのイメージでいた。
途中で放棄するのか私は。
粘り強く、我慢強い、そして体力もある私はそれを選択できなかった。
でも一番は彼のことが今でも好きで愛しているからだ。
でもこれからの暮らしを考える時、離婚しない、卒婚しない、つまり一緒に居続ける理由を考えると、それを見つけることがもうできないと気づくのだ。
私はもうずっと「この人と一緒にいると、同じ部屋の中で孤独死するだろう」と思っていた
支えてほしいという気持ち以上に支えてあげたいと思ってきた。私の器は決して小さくない。かなりエネルギッシュで物怖じしないし、困っている人がいたら手助けしたくなる
でも何かあった時に支えてもらえる自信がなさすぎるのだ。
それは体調面やメンタル、そして経済的なことも。
今までのように平穏に暮らしている中での小さなことは気遣ってくれるだろう。でもいざ感情がゆれるような状態になったとしたら、途端に彼の器はあふれ出し、私の感情が乗り移り、一緒に苦しくなりフリーズする
私が楽しそうな様子を見ると刺激が強すぎて不安になり、それを打ち砕いて平穏に戻そうとする。
普段が優しくてもそこにだって情緒的な交流はほぼなく、会話は月合計でも10分に満たない。その10分もほぼ連絡事項。これが家族なのか。。。
私の家庭内での孤独感は日に日に強くなっていき、家路に向かう足取りがどんどん重くなり、帰宅後は自室に籠り、自分の世界に入っていた。家が苦しすぎて子どもたちとすぐ外に出る。
そうして孤独感に気づかないふりをしてきた。
体力があって外交的で元気に笑っていた私はどんどん情動剥奪の状態になっていった。仕事をしているときは元気にしているのだが、自宅に戻ると
「死にたい、、、、というか生きている意味がわからない。30年も一緒にいるのにいまだに『家族』という感覚が薄い。夫婦でいる意味あるのだろうか。どんどん感情が凍っていく」
そんな想いに押しつぶされそうになっていった。
気づけば私は家庭の中で会話どころか笑い合うことも、喧嘩することもできない日々を過ごしていた。
いつからか、私が話しかけると彼の顔がこわばるようになった。
もう話しかけることはできなくなった。
とうとう私は
「行ってきます」も「ただいま」も言えなくなっていた。
家が一番息苦しい。
みんなと一緒にいるはずなのにどこにいるよりも孤独を感じる。。。。
彼の繊細さも理解しているつもりだった。
だから子育てのことも可能な限り私が請け負い、経済的な負担を少なくするために公営住宅への転居も時間をかけて実現した。
年齢を重ねてから、それも子育てしながらの起業だって死にものぐるいでやりきった。
彼への負担を減らしていった結果、、、
彼はますます元気をなくし、ますます繊細さが増していった。
もう私達夫婦の間には手分けして生きるだけの「分業」しかなかった。
シェアハウスの同居人。。。。。
限界だった
大好きな人との結婚生活なのに、相思相愛の生活になれず、ずっと片想い・・・
そんな言葉がぴったりだった。
でも、、、色んな傷ついた出来事も、今となっては
「仕方ない」と思える
だって彼はあの状況で私ののぞむ関わりができるキャパを持ち合わせていなかったからだ。
やっぱり私には関わりが少なすぎて淋しくて、孤独で苦しさが積み重なっていったし、彼は逆に求められることが大きすぎて、ライフステージの変化についていけず、、、抱えることが大きすぎてストレスが積み重なっていったのだろう。
彼も何も悪くないのだ。
だってアスペルガーでHSP、エンパスなのだから。
でも私だって悪くない。。。
卒婚を決めたあとは大失恋したような苦しさでどうにかなりそうだったが、段々と気持ちが落ち着いてきた。
これがお互いのためになるだろう。。。。
ここからは卒婚の形を変化させながらお互いが気持ちよく生きられるステージに進みたい。