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汚言症が思想になる!?不謹慎女神あまみしゃけのお告げを言語化してみた

これはあまみしゃけ写真集(仮)の後書きとして寄稿したものである。

あまみしゃけという人物を一言で言い表すならば、純粋不謹慎という言葉が相応しい。彼女のYouTubeチャンネルを覗いてみると、男性器や女性器等の不謹慎ワードが入った動画タイトルが散見される。これだけを見れば、ガーシーやへずまりゅうといった従来のバズ狙いの不謹慎系(メディア不謹慎)YouTuberと同類に見えるかもしれない。しかし、彼らの露悪的行為はあくまでも自分を売り込むためのセールストークにすぎない。過激系発信者の多くは登録者上昇と反比例するように、発信内容がマイルドになっていく。漫画NARUTOの冒頭で、イルカ先生が木の葉の里の問題児として悪さを続けるナルトに対して、自分も秀でるものがなく『バカをやる』ことでしか人の気を引くことができないのでナルトの気持ちが理解できると言っていた。社会とは凡人の集合体であり、凡人たちは自分の能力を証明することなく死んでいく。ナルトの問題行為は、現実で起きる凡人たちによるメディア系不謹慎への転向運動の表象である。あまみしゃけも不謹慎でメディアをハックするために、仮の姿を演じていると思っていた。しかし、私は完全にあまみしゃけという人物を誤読していた。彼女は正真正銘の天才である。まず彼女は社会をメタゲームとして楽しんでいる。私も一回対談したが、彼女は承認欲求に憑り付かれる現代人を嘲笑っていた。承認欲求からプロ弱者ビジネスに参入してしまう心の弱い人間たちが多いという現実を彼女に伝えると『エロいことすればいいんじゃない?』という返答が返ってきた。彼女にとって、社会を嘲笑うことはセックスやポルノ視聴と同じなのだ。私にとっての思想や哲学は性欲に近く、日常会話しか出来ない空間では欲求不満になって病んでしまうだろう。あまみしゃけも同様に、彼女の下品さには目的がない。性欲≒汚言なのである。無目的に生きることで日々の活力を失っていく日本のサラリーマンたちを嘲笑うかのように、無目的で無思想な人生こそ、逆説的に思想であるということを証明してしまったのである。誤解しないでほしいのだが、彼女は無目的なだけの快楽主義者というわけでもない。なぜ髪を整えたりメイクをするのかと問うと『周囲の反応が良くなるから』という現実主義的な回答をする一面もある。承認欲求は多くの場合、凡人の足を引っ張る負の要素になってしまうが、承認を集めるという行為は社会を生きる上で非常に重要である。あまみしゃけは『社会は存在する』という現実を直視したうえで、現実社会を嘲笑う令和の太宰治である。東浩紀を始めとするゼロ年代の批評家がセカイ系文学を過剰に持ち上げ『社会は存在しない』と高らかに宣言したが、セカイ系作品はアニメ等のメディアミックスも含め、ブームとしては完全に終了した感がある。TikTokやインスタグラムがあるのに、他人と比較することへの自制を促してセカイ系文学を回帰させようとしてもZ世代には空しく響く。プラットフォームが我々を隣の誰かと比べさせようと多額の資金を投資して洗脳してくる現代社会で、もはや東浩紀の理論は通用しない。少年誌一つ取ってもその傾向は顕著で、Z世代は進撃の巨人や鬼滅の刃といった物語冒頭から敵の正体が明示されている作品を好む。ドラゴンボールやワンピースといった一世代前の作品は、前提として平和が存在して、平和を脅かす存在との局初戦を繰り返すことで物語が進行する。これは旅するうちに新しい脅威を発見するという昭和的な冒険心が陳腐化したことの表れと言えるかもしれない。宮台真司も言うように日本は沈みゆく船であり、『タイタニックの中で冒険してもどうせ沈むから無意味だね』という社会への諦めの表れなのかもしれない。最近の若者はメンタルが弱いという老人たちの嘆きは的外れになりつつある。停滞した社会に徹底的に石を投げられ続けたZ世代は、痛みに強くなり無思想な思想家として思想界隈を牽引していくことだろう。成田修造を始めとした勘違い評論家たちが『学歴や大企業には意味がない』と斬新なことを言った気になっている。しかし、そんなことは若者の間では当たり前すぎて噴飯ものである。古い権威への懐疑は理論は前々から言われていたが、今の時点でSNS等による言論の民主化により方法論として可能になった。毎日自分の作品群でデータベースを埋める人間たちを私はカジュアルに天才と呼びたい。権威を褒めたたえるのをやめても、次の天才候補を既得権益が作るのでは意味がない。孫正義財団の天才たちがnewspicksやPIVOTのような新興メディアで取り上げられている。私は成田悠輔はテレ東によって作られたものだと思っている。『成田博士は天才』『松本杏奈は天才』と影響力のある人間たちが連呼する行為が、若者を自殺に追い込んでいる。あまみしゃけの言う通り、エロいことをしよう、汚言を吐こう、冒険しよう。地方高校からスタンフォード大学に入学できるというのは現実で起きたことではあるが、詐欺師の宣伝文句に近い。情報商材で金持ちになった人物は確かに存在するが九割九分の凡人には当てはまらない話である。息子や娘という権力構造ありきの運ゲーを共同幻想として有り難がるよりも、後天的にトゥレット症候群になったあまみしゃけを見てほしい。今回は写真集という形で彼女の思想を発信することになったが、日常を切り取ることは誰にでもできる。文壇、論壇、写真集の民主化は私たちが完了した。殆どの場合、作品に極端な優劣はなく、ビジネスマンと仲がよいか否かで才能や天才性が定義されてしまう。そんな社会はおかしいというあまみしゃけのメッセージを是非、本作品で感じてもらえればと思う。


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