Carte0011

大学生になってずっとなのだが、やっぱりエレクトーンが家に欲しい。

一人暮らしのこの狭い部屋にどこに置く場所があるのかと言われてしまえばそこまでなのだが本当に欲しいのである。

ただ、問題は他にもあって、とにかくエレクトーンは「高い」という一言に尽きる。

実家にはスタンダードモデルがあるのだが、実はタッチパネルが壊れていて音源もうまく読み込めない。実質、キーボードが3つある電子ピアノと化しているのである。なので、実家から送ってもらうという案はなしである。(修理だけでも10万以上するらしい、もしかしたら買った時と同じくらいするとか言われていて、それなら新しいものがいいのではとか思ってしまう)

うーん、でもそしたらやすい新しいものを買うかとも思うのだが、それでは結構音に違いがあるし、タッチとかの感度もきっと違う。サイズ的にはちょうどいいのだが、やっぱりなんかダサい。(大体主観...)

本当はスタンダードモデルか、ストリートっぽいモデルが欲しいのだが、そうすると50万は下らない。

なんの職業にもついていない一学生が50万もの買い物をしてもいいのか、置く場所も練習する時間もあるかわからないものにこれだけのお金を費やしていいものか、この繰り返しで約5年悩んでいる。

話はずれるが、実家にあるスタンダードモデルも60万くらいするものである。私が小2か小3のときに家にきたものだが、親はまぁこんな高いものを私のために買ってくれたなと思う。

あんまり、親に愛された記憶より、どちらかというとそうではない記憶の方が多い。というのも、エレクトーンもダンスも常に他のうまい人と比べられすぎて、ダメな自分というのを植え付けられてしまった気がしているからだ。

でも、20年ちょっと生きてきてやっと気づいたが、親はきっと比べたかったんじゃなくて、私に何か唯一の特技か何かを身につけて欲しかったんだと思う。というか、多分親もそうやって育てられてきたというか、何かのスキルを持っていることが素晴らしいといったような育てられ方をしたんだと思う。親は、とてもいろんなことができたけれど、それを生かし切れていなかった。自分には何もないと思っていた。だから、ちょっと私に期待していたのかもしれないと思った。何か一つ飛び抜けたものができれば、自分とは違う人生が歩めるのではないかと思ったんじゃないかと今更気づいた。

私の一番印象に残っている母親の姿は、私がダンスもエレクトーンもそんなにうまくなく、ダンスで端っこのポジションを与えられたときに一人で泣いてトイレで嗚咽する姿だ。子供ながらに、うまくできないことはダメなことなんだとすごく思った。だから、せめて勉強だけでもできるようになろうと思った。

まぁ結果的に今はそこそこの大学に通い、こういう劣等感みたいなものを改善するためにいろんな人に支えてもらっている(迷惑をかけているに近い)のだが、これはこれでよかったのかなと思う。

幸にして、ダンスもエレクトーンも嫌いではないし、一つも特技らしい特技はない。親の期待通りには育たなかった。

でも、圧倒的な劣等感があるから勉強を頑張れたのだと思うし、なんなら期待通りに育っていたら謙虚な姿勢や努力することは身につかなかったのだとも思う。親は今でも少しは期待しているのか、罪滅ぼしだと思っているのか、不自由しないようにといろいろ手を回してくれる。昔からそうだがきっと親なりに私に投資することで愛してるということを表現しているのだと思う。そんな周りくどい方法は幼い私にはわからなかったが、でもまぁ気付けるくらい大人になれたと思っておこうなんて考えている。

本当はただただ何かを頑張るということを認めて欲しかった。

私が子供を育てることになったら、きっと親のような育て方をしてしまう気がするから、ここで書いたことを本当に忘れないようにしたい。


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