恩地孝四郎ノート1

この作家を知ったのはつい最近で、<叙情><リリック><ポエム>シリーズのうちの何点かを(写真で)見て、非常に心惹かれた。桑原規子の『恩地孝四郎研究 版画のモダニズム』(せりか書房、2012年)を読み彼の生涯と他の多くの作品を見てさらにここと惹かれた。

前掲書は非常に長い書籍ですべてを飲み込めたわけではないけれど、どこかにまとめて書いておきたいと思ったのでいまパソコンを叩いている。わざわざノートの作成をしておこうと思うほど、私は恩地の作に惹かれているのだ。定期的に調査報告をしていきたいと思っている。

恩地孝四郎(1891ー1955)

1909 未来派宣言(二月マリネッティ、五月森鴎外による翻訳で日本に紹介される)
1910 『白樺』創刊
1914 『月映』創刊
1918 日本創作版画協会 設立
1923 関東大震災

恩地は1891(明治二十四)年、東京府南豊島郡淀橋町元柏木(現在は新宿区北新宿)に生まれる。ブルジョワの生まれと言えそう。父は東京司法裁判所で検事を勤めている大物。何しろ、孝四郎幼少時には恩地家で戦後初の首相となる東久邇宮稔彦王を預かるなどしている。宮家の子供たちと夏には鎌倉や伊豆山の海辺で過ごしたという。桑原は「それが、孝四郎の海好き、理科好きの一因になったことは間違いなく、のちの作品に「海」に着想を得たものが数多く登場し、魚や貝、虫などの自然物がしばしば現れる所以でもある」という(前掲書、29)。

海や小動物が登場している作品を見てみよう。

画像1

1935年にアオイ書房から出版された詩文画集『季節標』からの版画作品で、左から<蟲><魚><鳥>(<魚>のみ画像が逆転している)と題されている。作品を作家の伝記と重ね合わせる必要はないものの、ここに幼少期の思い出の結晶を見ることができよう。記憶の作用との連関から考えても面白い。形態に還元された鳥は、幼少期の思い出がすでにブロック状のものでしかないことを端的に示す。魚が文字的な構図の中に取り込まれているのも面白い。無意識が言語化されているように、記憶もまた自然に言語化されている。

桑原は1935年からはじまる<ポエム>シリーズに小動物が頻出することについて、先行研究を参考にしながら、版画界の中心メンバーとなりつつあった恩地の逃げ場として、癒すものとして自然を追いかけたのだろうとしている。前後の恩地や美術会の動向を示しておく。

1927 帝展に創作版画受理
1931 創作版画協会を引き継ぐ日本版画協会設立
1939 中国従軍

引用、参考文献 桑原規子『恩地孝四郎研究 版画のモダニズム』(せりか書房、2012年)

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