引用#3

いま言葉は自分たちの領地へ、無言へともどってゆくところである。やがて二度と出てこようとしなくなるだろう。無から現われ、無に帰ってゆくのだ。狂気の世界、ぶつかりあう語の不潔な下水渠、人間の口をへしまげる音節、出口のない饒舌。それらはなんのためにあるのだろう。まったく、なんのためにあるのだろう。かじりつくためにだ。触手をのばし、だれともしれぬ見知らぬ人間の魂のなかにしのびこむためにだ。人間の言葉こそ呪われるべきだ。言葉さえなければ、また数世紀間人間が言葉に欺かれなかったら、人生はどれほど幸福だったかわからない!

『大洪水』J.M.G ル・クレジオ(望月芳郎訳、河出書房新社、1969年)


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