引用#5

言い換えれば、撮影時の実際のシャッタースピードにもかかわらず、《釣り》には時間の厚みがある。この時間の厚みはカメラ・アングルと被写体の配置によって示唆されている発見の瞬間性と対象を成している。(27)


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        福原信三《巴里とセイヌ、釣り》1913年


だが、現実世界において通常動いている状態で目にしている対象を写真の画面に含めることで、その対象の動きを、さらには、その対象が存在する世界自体の動きを示唆することができる。(75)


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複数のショットを組み合わせて作られる劇映画では、作品から特定の個人の眼差しを抽出するのが難しいのに比べて(それはあるときは監督の、あるときはカメラマンの、またあるときは登場人物の眼差しであり得る)、写真作品に我々は通常、写真家個人の眼差しを読み取る。(94)
戦後に次々と復刊されたカメラ雑誌の存続と商業的成功は、アマチュア写真が大衆的な趣味としてどれだけ広まっていくかにかかっていた。その一方で一九五〇年代には「生活」という言葉に、戦前にはなかった重みが与えられていたのも確かである。(123)

甲斐義明『ありのままのイメージーースナップ美学と日本写真史』(東京大学出版会、2021年)


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